としおの読書生活

田舎に住む大学院生であるとしおの読書記録を綴ります。主に小説や新書の内容紹介と感想を書きます。 読書の他にも旅行やパソコン関係などの趣味を詰め込んだブログにしたいです。

2019年02月

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元議員である田村耕太郎さんが書いた『頭に来てもアホとは戦うな』を読みました。話題になっているということでなんとなく購入したのですが、読了後買って良かったと感じました。読んでいてて共感できることが非常に多かったです。

本書では以下のような特徴を持つアホと関わらない方が得だということが書かれていました。
  • 戦ったり、悩んだりする価値のない人たち
  • あたり屋のような不条理な人物
  • 他人を落として入れて、自分の価値をあげようとする人物
内容を整理するついでに簡単にまとめていきます。




アホと無駄な戦いを繰り広げる人の特徴


アホと戦って貴重な時間を消費してしまう人の特徴は以下の通りです。
  • 正義感が強い
  • 自信にあふれている
  • 責任感が強い
  • プライドが高い
  • おせっかい

私も無駄にプライドが少しあるため、つまらないことでバカにされると悔しくてやり返したくなることがあります。こういうのが時間の無駄なんでしょうね。

プライドが全くないのもどうかと思いますが、ほとんどの場合プライドがあるがゆえに無駄な時間を使ってしまうのでいっそのことプライドを全部捨ててしまった方が楽なのかもしれません。本書ではそういったプライドの捨て方も書かれているのでプライドが高い人なら一読する価値があるかもしれません。

他の点でもおせっかいだったり、正義感が強いのはいい人であるがゆえにアホに絡まれてしまう要因になるので、アホに頼まれてなにかするにしても今後の自分の特になるようなこと以外は割り切ってしまった方がよさそうですね。




アホと戦わない方法


アホと戦わない方法をまとめると以下の通りになります。


1. 嫌な相手にはやられたふりをする

相手から嫌がらせを受け、それに対して反撃してしまうのは時間の無駄です。反撃したことで新しい敵を作る可能性もあるのでやられたふりをして我慢しましょう。

やられっぱなしでむかつく場合はノートに相手への陰口を書いてストレスを発散しましょう。ただし、SNS等で悪口を書くのは相手が見れる可能性があるので、必ず相手に知られないようにストレスをコントロールすることが大切です。


2. 生意気な人間は恨みをかう

生意気な態度をとるのはその場だけで満足感が得られるだけでなんの得もないのでやめましょう。生意気な態度をとっていたがゆえに、アホに恨まれることもあります。


3. いやがらせをしてくるアホに相談をする

いやがらせをしてくる相手に、あえていやがらせの件を相談することで相手からのいやがらせはなくなります。いくらアホな人間でも真摯に相談してくる相手にいやがらせはできません。

ただ相談するときは相手の名前をだすことなく、他の人からいやがらせを受けているかのようにそうだんするようにしましょう。


4. アホを味方にする

アホは敵だと自分にとって害があるだけで何の得もありませんが、味方になると意外と頼もしいことがあります。

アホは基本的に偉そうにしたいだけの人が多いので、下手にでていると味方になってくれる可能性も高いので下手にでて味方につけてしまいましょう。



田村さんは、アホと戦わない方法として以上のことを述べていますが、若いうちならアホと戦ってもいいとも言っています。その理由として、アホとたたかうことでアホに使う時間がいかに無駄であるかを実感できるからです。これを読んで個人的に、確かに無駄だと実際に体験すればアホと戦わないようにするだろうなと感じ、納得のいく理由でした。


アホとではなく自分と戦え


上記に書いたようなことでアホと戦う時間が減ったら、その後は自分のために時間を使って自分磨きをしろと本書では言っています。

自分磨きをするためにはできる人ばかりの環境に飛び込んだり、自分の人生を満足させるためにはどうしたらいいのか考える必要があります。

これを読んで私は、確かに今もし自分がアホと戦わなくなり時間ができたとしても、時間を有効に活用することができなければアホと戦っているのと変わらないなと思いました。

著者である田村さんは時間を無駄にしないためにスマホなどの電子機器を触る時間をできる限り減らしたりしているみたいです。


最後に


前半はタイトル通りアホと戦わない方法が書かれており、後半にはアホと戦わないことでできた時間の有効な使い方について書いており参考になりました。

たまにはこういったビジネス書を読むのも刺激になるな。

とりあえずせっかく読んで知識を得たので今後これらのことを実践していきたいと思います。

余談になりますが本書はドラマ化されることが昨年の12月に決まったみたいなのですが、このようなビジネス書がどのような形でドラマになるのか非常にきになります。





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2月22日に今村夏子さんの新しい短編集『父と私の桜尾通り商店街』が発売されたのでさっそく読んでみました。

今村夏子さんといえば、平凡な日常の風景を描いていると思っていたら、少しずつ日常から外れていく作品を書くことで有名です。本書も今村夏子さんらしい良さがでている短編集となっていました。

以下、各短編の感想や考察を書いていきます。ネタバレもあるので未読の方は注意してください。



白いセーター


白いセーターは、人にものを伝えるのが苦手な結婚前のカップルの様子をえがいている作品ですが物語の中にいくつか奇妙な展開がありました。


1. どうして陸は教会で突然叫びだしたのか

陸は教会でドアが開いたときホームレスが入ってきたわけでもないのに「でていけー」と叫びました。

どうして叫んだのか私なりに考えたのですが、陸にはホームレスという言葉が理解できておらずドアが開いたときに腐ったチーズのような香りを感じて反射的に言ったのではないのだろうか。

ではどこから臭いがしたのかというと私は由美子が着ていた白いセーターが臭かったのではないのかと思う。これはあくまで個人的な妄想も含むが「白いセーター」は序盤からセータに臭いがつく描写を意識している場面が多いことから、なんとなくずっとタンスに入れっぱなしであったセーターが臭くなっていたのではないのだろうか。


2. 鏡のように動くホームレス

物語後半でゆみ子の動きにあわせて鏡のように移動してくるホームレスがいた。これはゆみ子自身も鏡のように動いていると感じる点から、ホームレス側もゆみ子が鏡のように自分の動きを真似しているように感じるだろう。

その結果、ぶつかりそうになりホームレスは怒って「どけ」と言ったのではないのだろうか。



白いセーターを読んで思ったのは、一人だけでもいいので自分のことを理解してくれる人がいるのは生きていくうえでとても大切なことなんだろうな。ゆみ子でいう伸樹みたいな人間を私も見つけたい。


ルルちゃん


「ルルちゃん」も平凡な風景が続いている思うと突然奇妙な場面が現れる。

安田さんは、旦那はいつも8時過ぎの決まった時間に帰ってくると言っていたのにヤマネが訪れた日にはどうして帰ってこなかったのだろうか。

帰ってこなかった理由として、普段は飲み会などに参加しないがその日だけたまたま何かをしていて遅くなった、そもそも安田さんには夫がいなかった、少し前に離婚してしまったなどという理由をあげることができる。

しかし、私は安田さんが何らかの理由でかっとなり夫を殺してしまったのではないのかと思う。安田さんの家でヤマネが食べたカレーに入っていた特大の骨付き肉は旦那の肉だったのではないのだろうか。

ヤマネは普段あまり食に関心がないこともあり、安田が披露してくれたカレーを味もよく分からないが具材から勝手にチキンカレーだと判断したのではないのだろうか。それに、もし普通のカレーだとしたら食事に招待するぐらいなので安田も一緒に食べるべきだろう。

また、安田は普段図書館で会った時と比べるとおしゃべりであったことからも、しゃべってないと落ち着かないような出来事があったと考えられる。

このことから私は安田は夫を殺して、それをヤマネに食べさせて処分しようとしたと考える。

また、ルルちゃんという人形を大切にしているのもなんだか不気味だ。人形を子どものように感じる安田は情緒不安定な人間のように感じる。それを持ち帰るヤマネもヤマネだが…。




ひょうたんの精


「ひょうたんの精」は今までの物語と比べると不気味というより不思議な話。

なるみ先輩のお腹に住み栄養を吸収する七福神が実際に存在したかはなるみ先輩にしか分からないが、この物語の語り手であるマネージャーはなるみ先輩の話を信じており、なるみ先輩から伝えられた通りの内容を後輩のマネージャーに話している。

もし本当になるみ先輩の話がすべて真実だとしたら、なるみ先輩が天井に向かってひょうたんの苦手な虫の名前を叫ばなくなったら、チアリーディング部の部員たちはひょうたんに吸い込まれてしまうのだろうか?


せとのママの誕生日


「せとのママの誕生日」はスナックせとのママにお世話になった元バイトたちがママの誕生日を祝うために集まった物語。これだけを聞くとすごく平和そうな物語だが個人的には今回の短編集で一番怖い話だった。

そもそも、アリサ、カズエ、わたしがスナックせとを訪れた時点で本当にママは生きていたのだろうか。物語のはじめと終わりで二回わたしが目を広げた瞬間ママの瞳孔が縮んだと言っているがこれはわたしの主観であるため本当に瞳孔が縮んだのを確認できたのかが分からない。

しかも、スナックせとの現状を考えるとカギも壊れておりガラス戸が割れていているためこんな場所で生きている人間が住んでいるとは考えにくい…。

また物語の終わりの方で、今までのバイトたちが失った彼女たちの武器である体の部位をどんどんママの体につけていく場面がある。まだアリサのデベソやカズエのチクビの話は物語を読んでいる限り分からなくもないが、アカリの舌、ナナコのあごなどがどういった経緯で失ったのかが非常に気になる(舌や頭蓋骨を本当に失っていたらしんでいそうだが)。

なんか最初から最後までよく分からないが恐怖しか感じられない物語だった。


モグラハウスの扉


「モグラハウスの扉」は『父と私の桜尾通り商店街』のために書き下ろされた作品です。

モグラさんが子どもたちに冗談でマンホールの中にはモグラハウスがあると言っている、序盤はすごくかわいい物語なのだが、みっこ先生がモグラさんに恋したあたりから不穏な空気を感じ始める。

そもそも、みっこ先生はマンホールの下になにを見たのだろうか?

みっこ先生が一度目にマンホールの下に入ったときモグラハウスがあると言っていた。この時点ではモグラさんや子どもたちの夢を壊さないために嘘をついている良い先生の感じた。二度目にお箸を落として取りに行ったときはお箸が見つからず、服が汚れた状態で出てきた。この時点で読者からするとやっぱりモグラハウスってないんだなとなる。

10年以上のときがながれ再び主人公であるわたしとみっこ先生が再開する。再開後、町中が雨で冠水しマンホールのふたがあがっているという話になる。わたしがたまたま拾ったみっこ先生が落とした箸をみっこ先生に見せると、みっこ先生はモグラハウスの心配をはじめる。

読者の中でこの場面を読むまでモグラハウスは実在しなかったという認識であったのに、みっこ先生の様子から実は存在したのかもしれないと認識が変化する。

モグラハウスが本当にこの世界に存在していたのかは分からないが不思議な話だ。主人公もモグラハウスを信じ続けていると小学生のまま大人になりきれていないような気がする。




父と私の桜尾通り商店街


最後は本作の主題となっている物語。

商店街からつまはじきにされているパン屋で、"私"がコッペパンをサンドイッチにして販売しだしたところ、徐々に人気を集めていったという物語。

この物語には二つのパン屋がでてくるがそれらは対照的だ。主人公の"私"と父が経営するパン屋は商店街の住民から嫌われているが、新しく商店街にやってきた女性が経営しているパン屋は商店街の人たちから好かれている。

"私"はこっそり商店だよりであるさくらお通信を読んでいることから、仲が良い商店街の人たちに憧れていることが分かる。

サンドイッチが売れ出したことで、商店街の住民と"私"が仲良くなるチャンスがやって来たが、コッペパンを作っていた父が倒れた場面で物語は終わってしまう。

コッペパンを作れない"私は"父が倒れた後、商店街に馴染むことができたのかが気になるところだ。

私はこの主人公には、新しくできたパン屋でバイトとしてサンドイッチを作って幸せにくらしてほしいな。


最後に


本書に含まれている短編に登場する人物たちの多くは、近しい人たちの考えをすべて否定せずに信じ込もうとしている。これは物語だからよいのだが、もし現実で誰の話でも鵜吞みにしてしまう人たちが増えていると考えると少し恐怖を感じる。

今村夏子さんは本書を通じて読者に、他人の話が真実であるか嘘であるか判断するのは自分自身であるということを伝えたかったのではないのだろうか。

なので私の感想では自分の妄想を含む考察も多いが、必ずしも考えが間違っているとは言えない。

書く物語についていろんな人の考察を聞いてみたいのでもしよかったらコメントで教えてください。




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4月から吉高由里子さん主演でドラマがスタートする朱野帰子さんの『わたし、定時で帰ります』を読みました。刊行されてたった一年でドラマ化されるだけあり、内容はとてもおもしろかったです。

現実では『わたし定時で帰ります』の主人公である東山結衣のように、毎日定時で帰るというのは難しいんでしょうが、物語が現実に近いということもあり、読んでいると普段のストレスが吹き飛ぶような作品となっていました。

日ごろ仕事で残業が多くストレスが溜まっている人にはけっこうおすすめできる作品だと思います。

以下、感想を書いていきます。ネタバレもあるので未読の方は注意してください。



本当に残業は必要なのか?


主人公の東山結衣はどんなことがあってもとにかく定時で帰ろうとする30代前半の女性社員です。

日本の多くの企業では残業をしない人間に対して、仕事へのやる気が感じられない、一人だけ楽をしているなど悪い印象を持つ傾向がありますがそれは本当に正しいのでしょうか?

結衣は毎日定時で帰りますが、仕事ができない人間というわけではありません。

正直私は、だらだら仕事をする人間よりも、結衣のように仕事とプライベートでしっかりと切り替えることのできる人間の方が評価が高くなるのが正しいと思っています。

本作の第三章でスポットがあたっている若妻徹は、残業を会社に泊まり込み朝までしていますが、だらだらと仕事をしているだけで無駄が多く、通常の勤務時間も残業の影響で疲れてしまい効率が落ちてしまっています。

こんな風に残業をしていても仕事量が残業をしていない人間よりも少ない人は現実でもいます。

会社は残業をしていない人間を残業するように仕向けるよりも、効率的に仕事ができていない人間を変える方が正しいのではないのでしょうか。

結衣のように全く残業をしないというのは極端な例ですが、日本の社会も結衣のように残業時間が少ない人間を評価する傾向に変わっていてほしいです。


ブラック上司 福永清次


本作で結衣の最大の宿敵は、部下に残業をさせることを何とも思わないブラック上司 福永清次でした。

福永は自分が評価されるためなら、部下が残業でどれだけ苦労しても気にしないような典型的なブラック上司です。さらに、自分はほとんど残業をせずに帰ってしまうので、ただのブラック上司よりなおさらたちが悪いです。

人間なので他人からの自分の評価が気になる気持ちは分かるのですが、それならば部下からの自分の評判も気にしてほしいところです。

福永は相手の弱みに付け入るのが得意で、部下に残業するように仕向けます。しかし、最終的にはそれが原因で部下に謀反を起こされてしまいます。

現実でもこんな風に謀反を起こされるようなことはありそうなので、時代は違えど人間の考え方は戦国時代とあまり変わっていなのが分かりますね。

この作品を読んだ人に自分は福永のようなむちゃくちゃな上司ではないか、部下に寝首をかかれないように一度見直してほしいところです。




結衣の恋の行方


結衣は最終的に、しばらく残業が続き婚約者よりも仕事を優先してしまったことが原因で婚約者の諏訪巧に浮気をされてしまいます。

仕事のせいで浮気された結衣はショックだっただろうが結果的にはこれで良かったのかもしれません。結衣は巧が残業をせずに仕事よりも趣味を優先するような人間であったため、以前付き合っていた仕事人間の晃太郎よりも価値観があうと思い付き合い始めました。

しかし、結衣は巧の良い点だけ見て悪い点からは目を背けていたのでいつかは合わなくなり上手くいかなくなったと思うので、結婚前にその事実を知ることができて良かったと思います。

恋愛相手を選ぶときは自分と考え方が合うのかという良い点をみることも大切ですが、案外価値観がずれていたほうがお互いの刺激になり上手くいくのかもしれませんね。

価値観が違う結衣と晃太郎で今度こそ幸せになってほしいです。


最後に


原作が面白かったのでドラマが始まるのが楽しみです。

もしドラマしか見ていない人がいたら原作も面白いのでぜひ読んでみてください。


バレンタインデーに彼女からYVAN VALENTIN(イヴァン・ヴァレンティン)の6個入りのチョコレートをいただきました。

チョコレートにあんまり詳しくないのでイヴァン・ヴァレンティンという名前を聞いてもピンとこなかったのですが、彼女から海外セレブ御用達のチョコレートで、日本ではバレンタインデー、ホワイトデーシーズンにしか購入することができないと聞かされて驚いてしまいました。

しかも値段を聞くと6個入りで3700円だという…。チョコ一粒で私の普段の晩ご飯以上の値段みたいです。

さらに普段は店頭販売されていないため購入するために、一時間以上並ぶ必要があるらしい。まるでディズニーのアトラクションのようだ。

今後、イヴァン・ヴァレンティンのチョコを食べる機会があるか分からないので、せっかくだしチョコを食べた感想を書いていきます。




イヴァン・ヴァレンティンを開封していく


パッケージがいつも私が食べているようなチョコとは比べ物にならない高級感。

開ける前からワクワクです。
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開けてみると各チョコレートの説明が書かれた紙が一番上にあり、それをとると幻のチョコレートが見えてきます。
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高いチョコレートということで見た目もきらびやかなのかと思っていたのですが、いざ実物を見てみるとけっこう普通のトリュフってかんじです。
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チョコレートは上記の写真の右側から順にDARK(ダーク)、PRALINE(プラリーヌ)、WHITE(ホワイト)となっています。

では早速食べていきたいと思います。




DARK(ダーク)


数種類のカカオをブレンドすることで生まれた濃密な味わい。
リキュールの効いた香りと後味が、あなたに5分間の幸福を。
食べてみると最初に口の中がカカオの濃厚な味で包まれました。またリキュールの香りもほんのりと匂い、大人のチョコレートという味でした。

しかも、説明で書かれているように、味が濃厚すぎて食べおえてしばらくたった後も後味が口のなかに残りつづけていました。


PRALINE(プラリーヌ)


ヘーゼルナッツを細かく砕き、砂糖と絡めたものがプラリーヌ。
そのまろやかで香ばしい味わいが、口の中に一気に広がります。
チョコレートの香りをかいでいるだけではナッツの香りがしなかったのですが、いざ口に入れてチョコを香んでみるとナッツの味がチョコレートの味と同時に口の中に広がりました。チョコとナッツって相性がいいんですね。

DARKと比べるとカカオの苦味が少なく、子どもでも食べやすい味だと思いました。

ただ、私がチョコレートではない伝統的なお菓子であるプラリーヌを食べたことがないため、それと比べるとどうなのかという感想を考えることができなかったので、私が食べるには少しもったいないチョコレートだった気がします(どのチョコレートもそうなのかもしれませんが)。


WHITE(ホワイト)


オレンジリキュールの香りが鮮やかな、すっきりした口当たり。
チョコレートのピュアなおいしさが、あなたの味覚を虜にします。
私はこのWHITEを食べるまではホワイトチョコレートは甘すぎてあまり好きではなかったのですが、WHITEを食べたことによりホワイトチョコレートに対する考え方が大きく変わりました。

WHITWを噛むとオレンジリキュールの味が口のなかに広がり、その味がホワイトチョコレートの味と調和して絶妙なさっぱり感が口をおおいました。

個人的には今回食べたチョコレートの中でWHITEが一番好きな味でした。私のようにホワイトチョコが苦手な人でも楽しめる味となっています。


最後に


どのチョコレートも今まで食べた中で一番おいしいチョコレートでした。イヴァン・ヴァレンティンを食べたことでチョコに魅了される人たちの気持ちが少し分かった気がします。

今回食べた6個入りのなかにはカプチーノが入っていなかったのですが、そちらの方も次にイヴァン・ヴァレンティンのチョコレートを食べる機会があれば食べてみたいですね。

今年のホワイトデーは国内で購入できるか分からないですが、もし発売されるのなら彼女にイヴァン・ヴァレンティン返しをしてみたいですね。去年は阪急うめだ本店のみ、ホワイトデーは取り扱っていたらしいです。

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まもなく映画が公開される、西加奈子さんの『まく子』が文庫化されたので読んでみました。

読み始めは自分にはあまり会わない本かと思ったのですが、主人公である慧の思いを理解していくにつれてどんどん引き込まれていってしまいました。西加奈子さんの作品をいくつか読んでいるのですが、やっぱりどの作品を読んでも心理描写が上手だと思わされる作家さんですね。

以下、簡単に感想をまとめていきます。ネタバレも含まれますので未読の方は注意してください。




大人になると失ってしまうもの


主人公の慧は、小学五年生になり子どもと大人の狭間にいる少年で、周りの女子や自分の体が変化していくことを感じて大人になっていくことを恐れています。

ただ大人になるのを恐れている反面、自分より年下の子どもを子どもっぽいと思ったり、すでに年齢的には大人であるにに大人になりきれていないドノを軽蔑していたりと大人になり切れないのも嫌だと思いを持っています。

本作は、そんな慧の子どもから大人に変化するまでの心理をうまく描いている作品で、子どもから大人になる際に「純粋な気持ち」を失ってしまうことがいくつか描かれていました。

純粋な気持ちの一つに「人を信じる気持ち」があります。

まだ小学1年生だったころの慧たちは、一つ年上の類(ルイ)の言ったこと(UFOを見たなど)を何でも信じていました。しかしある日、類の言っていることは嘘ばかりだと気が付いてしまいます。その日を境に慧たちは誰も類の言うことを信じなくなると同時に「人を信じる気持ち」を失いました。

もちろん、大人になり社会にでると全ての人間を信用するわけにはいきません。ただそれでも、人を信じる気持ちというのは失っていいものなのでしょうか。

物語中のドノのセリフに以下のようなものがあります。
「誰かが言うことを、俺は信じるし。それは嘘だって責める前に、どうせ嘘なんだしとかじゃなくって、俺は言葉通り、そのまま受け止めたいんだし。類が虎を見たって言うなら、それを信じるし、状況なんて関係ないし。そいつがそう信じてほしいことを、俺はし、信じるし。」
 西加奈子『まく子』p177 より
ドノは大人になり切れない反面、人を信じる純粋な気持ちを失っていませんでした。大人になり物事を合理的に考えるもの大切かもしれませんがこのようなことを忘れずに成長するのも大切なのかもしれません。

『まく子』を読んだことで失っていた様々なものを思い出せた気がします。




コズエの正体


コズエの正体は最終的に本当に宇宙人であるということが分かりました。

転校してきたしばらく後に慧に「私は宇宙人だ」とつげたコズエの正体ですが、私も物語序盤では慧とどうように冗談で宇宙人と言っているだけだと思っていましたが、物語が進むにつれて少しずつ本当に宇宙人かもしれないと思わされました。

物語序盤ではほとんど無表情であったのに、物語が進むと笑ったりする喜びの感情が芽生えてきました。その結果、いつも常盤城で行っている撒く行為の楽しさを慧に語ったりして人間らしさが増すのを感じさせられました。どんどん人間らしくなる様子が逆に不自然に感じて、宇宙人かもしれないという疑念を持たせます。

また周りの子どもたちがどんどん大人びていくのに対して、コズエはどんどん純粋さを取り戻して子どもに近づいて行っているような感じがしました。西加奈子さんがこういうことを意識して書いたのかは分からないが、こういった様子が人間になりたての宇宙人だという話に真実味を持たせました。

コズエは宇宙に帰る前も、常盤城で砂利を撒くように、自分という存在がいたことを忘れさせないため自身の魂を撒いていきました。本当に『まく子』というタイトルにマッチしている少女でした。


放火犯の正体


作中では、放火犯の候補としてドノや慧の父の浮気相手だったチカがいましたが、本当の犯人はコズエが去った後に慧と同じクラスに転入してきたソラでした。

ソラは母の希望により引っ越すことになりましたが、同級生と別れるのが嫌で引っ越し先で家事が起きれば引っ越しが中止になると考え、祭りの日に慧たちの住んでいる土地に訪れたときに放火を行いました。結果的に引っ越しは中止にはなりませんでしたが、慧たちならコズエと出会った経験を活かしてソラに引っ越してきて良かったという思いを芽生えさせることができるでしょう。


最後に


『まく子』はこのブログでは語り切れないほどの魅力いっぱいの作品なので未読の方は読んでみてください。

もうすぐ映画が公開されますが、小説との違いを確認するために見に行けそうだったら行きたいな…。


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