としおの読書生活

田舎に住む社会人の読書記録を綴ります。 主に小説や新書の内容紹介と感想を書きます。 読書の他にもワイン、紅茶、パソコン関係などの趣味を詰め込んだブログにしたいです。

2020年10月

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三秋縋さんの『君の話』を読んだので感想を書いていきます。

三秋縋さんの作品は『三日間の幸福』しか読んだことがありませんが、『君の話』は初版がすぐに完売しその後重版をつづけているという人気作であるため読む前から期待が高まっていました。

表紙のイラストも美しく、イラストを描いた紺野真弓さんのファンになりそうです。



『君の話』のあらすじ


二十歳の夏、僕は一度も出会ったことのない女の子、夏凪灯花と再会した。

彼女との思い出は全て架空。架空の青春時代、架空の夏、架空の幼馴染。

夏凪灯花は記憶改変技術によって僕の脳に植えつけられた<義億>の中だけの存在であり、実在しない人物のはずだった。

「君は、色んなことを忘れてるんだよ」と彼女は寂しげに笑う。

「でもね、それは多分、忘れる必要があったからなの」

これは恋の話だ。その恋は、出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた。


感想(ネタバレあり)


読み終わった直後の感想は、夏が終わってほしくないと思いました。夏がいつまでも続けば感動的な本作をいつまでも楽しむことができるのに…。

物語の終盤では主人公に感情移入してしまい涙がとまりませんでした。小説を読んでここまで泣いたのは久しぶりだと思うぐらい泣いてしまいました。喫茶店で読んでいたため周りの人には変な人に見えただろうな。

『君の話』は、三秋縋さんの作品を読んだことがない人でも恋愛小説や恋愛ドラマが好きな人ならば楽しめる作品となっています。また三秋縋さんの文章の特徴として物語上で難しい言葉が出てきても解説などがはいるため読みやすい作品となっています。


以下ネタバレを含みますので本作をまだ読んでいない人は物語を楽しんでから読んでください。





















もし現実で記憶改変技術が実現しており自分の記憶の中に<義億>を植え付けることができるとするのならばあなたは義億を植え付けたいと思いますか?

私は、植え付けてみたいです。植え付けてみたいといっても、本作の主人公である天谷千尋の両親のように義億が生活の中心となってしまうほど義億に溺れたくはありません。

ただ自分に自信をつけるための成功体験や自分が昔やり残したことに近い義億を新たに手に入れることができるのならばほしいです。


<義億>というテーマについて


本作のテーマである<義億>はとても面白い題材思います。義億は、同じものであったとしても人によって良いものになったり悪いものになったりするものでしょう。天谷と灯火が同じ義億を持っているのにそれぞれその義億に対する考えが違うのが良い例です。

天谷千尋は、これまでの虚無であった人生の記憶を消すレーテを処方したつもりが実はグリーングリーンを処方させられており、自分が望んでいない義億を手に入れてしまいます。

最初のうちは天谷にとってグリーングリーンの義億は悪いものでしたが、ある夏の日に架空の存在しないはずの少女にであったことをきっかけに義億に対する考え方が少しずつ変化していきます。

一方、天谷に処方したグリーングリーン(正確にはボーイミーツガール)を作成した夏凪灯花(本名じゃないけど)にとってこの義億は小さいときから自分が憧れていた幼馴染との生活を義億化したものであり灯火にとっては理想的なものでした。

片方が良い思いを持っているのにもう片方が悪い思いを持っているということは、現実の記憶にもありそうですね。『君の話』が現実には存在しない<義億>というものを取扱っているのに現実の話であるように感じるのは、義億と記憶は変わらないものであるということを綺麗に表現できているからだと私は思います。


天谷と灯花の嘘


天谷と灯花は、二人が普通に生きていれば出会うことのない関係でした。灯花の嘘から作られた義億をきっかけに二人の関係は進んでいきます。

基本的に嘘をつくことはあまり良いことではないと思いますが、灯花と天谷がお互いについていた嘘は悪い嘘ではなく優しい嘘であるためこういった嘘であるのならばありなのかもしれません。

誰もがこんな嘘であるならば自分も騙されてみたいと思うのではないのでしょうか。


最後に


『君の話』は読了後、本当に読んで良かったなという作品になりました。ここまで本記事を
読んでくださった人の中でまだ本作を読んでいない人はぜひ読んでください。

今考えたら<義億>って小説などの物語に似ている気がしますね。私たちは記憶改変技術がないかわりに物語を読むことで自分にはない経験をして新しい義億を作り出しているのかもしれませんね。

三秋縋さんの作品はとても面白かったのでこれを機会に次は『恋する寄生虫』とか読んでみようかな。

『恋する寄生虫』も読みました。感想を書いているのでよかったら読んでください。








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三秋縋さんの『恋する寄生虫』を読みました。

一見ありきたりな恋愛小説ですが、読んでいると寄生虫という題材をすごく上手に扱っていると分かる作品でした。

また、結末が個人的にはけっこう衝撃的でした。



『恋する寄生虫』のあらすじ


失業中の青年、高坂健吾は極度な潔癖症で人と触れ合うことができない。

そんな高坂の唯一の趣味はコンピュータウイルスを作成することだ。

ある日彼がコンピュータウイルスを作成しているのが和泉という男性にばれてしまい、警察に突き出される代わりにある依頼を受けることになる。

その依頼とは、不登校の少女・佐薙ひじりと仲良くなれというものだった。

共通点が多い高坂と佐薙は次第に惹かれあい、やがて恋に落ちる。


しかし、この幸せは長くは続かない。

二人の恋は、彼らの体の中に潜む寄生虫によってもたらされた「操り人形の恋」に過ぎなかった…。


感想(ネタバレあり)


スタートラインに立てない社会不適合者


高坂は潔癖症で失業中、佐薙は視線恐怖症で不登校ということでこの物語に出てくる主人公とヒロインは脅迫障害が原因で日常生活に支障を与えています。

一般的な人からすると潔癖症なんて豆に手洗いや掃除をするぐらいでただの綺麗好きという印象が強いかもしれませんが、潔癖症がひどい人はそんなレベルではないということが本作を通して分かりました。

一方、佐薙の視線恐怖症も人と目を見て話すことができない、周りからの目が気になるなど人だらけの世の中で生きていくにはなかなか辛そうです。

彼らは好きで脅迫障害になってしまったわけではないので、それだけが原因で社会に出ることができないことを考えると社会の理不尽さを感じてしまいます。

高坂も佐薙も知的であり一般的に見れば有能な部類の人たちなので欠点だけではなく長所を見ることが大切なんでしょうね。

脅迫障害もそれぞれの個性だと捉えて、差別をするのではなくそういう人たちでも生きやすいように世の中変えていく必要があるということを本作を通して感じました。(高坂とか完全リモートな仕事に着いたらすごく有能そうな気がします。)





操り人形の恋


社会に溶け込むことができない高坂と佐薙は、互いの似た境遇に惹かれあい恋に落ちます。

しかし、この恋は彼らの中に住む寄生虫が引き起こしたものでした。

これを読んですごい設定だなと思いましたが、実は現実にもこのような寄生虫がいるのかもしれません。

異性の中で好みな人の声や香りがありのも実は私たちの中に寄生虫が潜んでいて恋愛衝動を起こしているのかも…。世界の多くの夫婦は寄生虫の影響を受けていたり…。


作中で和泉や爪実は寄生虫によるまがいものの恋は薬で治すべきだと考えていますが、佐薙が物語の中で言っていた通りまがいものでも自分の意志で身を任せて幸せなのなら、操り人形でも悪くないのかもしれません。

人に自分の意志で恋するのと自分の意志で寄生虫に任せて恋することの何が違うのか聞かれたらすごく難しい問題ですよね。

結局、自分の意志とはなんなんでしょうね…。



ラストシーンについて


この物語の結末は、高坂と佐薙が結ばれて今後も仲良くやっていくよといったハッピーエンドではありません。

もし、物語をハッピーエンドで終わらせたいなら296ページの「高坂はゆっくりと目を閉じた。」という言葉で高坂の身の視点で描かれた物語として本作は終わっていたでしょう。

しかし、作者の三秋縋さんは最後に佐薙視点で物語を描きました。

最後に佐薙視点で物語を書いた理由は、佐薙が寄生虫を失っても高坂に恋をしていることから、人間は寄生虫に一方的に操られているわけではなく自分意志で生きているんだということを読者に教えたかったからだと私は考えています。


次に高坂が目を覚ました時かもう少し先かは分かりませんが、物語の結末から佐薙が近いうちに高坂の前から姿を消してしまうことが明白です。

佐薙を失った高坂のことを考えると「恋する寄生虫」は本当に切ない作品ですね。


最後に


「恋する寄生虫」は色々と考えさせられて非常に面白い作品でした。

三秋縋さんの作品ってライトノベルのように読みやすいのにメッセージ性が深いという不思議な作品が多い気がしますね。


また、恋する寄生虫は2021年には林遣都と小松菜奈主演で映画化されるみたいなのでそちらも楽しみです。

公開されたら絶対に見に行こう!






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C言語でfloat型やdouble型に対してビット演算を行おうとしたところコンパイラに「error: invalid operands to binary & (have ‘float’ and ‘int’)」(要するにそんなことできないぞ)と怒られてしまいました。

そこで解決策を調べたので忘備録として記録しておきます。




float型でbit演算を行うための解決策


まず結論からになりますが、共用体(union)を使用することでこの問題を解決することができました。

typedef union longfloat{
  long lnum;
  float fnum;
}longfloat;

上記のような共用体をしようすることでfloat型であるlongfloat.fnumに値を入れた後、longfloat.lnumに対してビット演算を行うことであたかもfloat型にbit演算を行ったかのように扱うことができます。

以下にサンプルコードを示します。


floatにビット演算を行うサンプルコード



#include typedef union longfloat{ long lnum; float fnum; }longfloat; int main(void){ longfloat lfnum = {0}; lfnum.fnum = 1.2345; printf("fnum:%08lx\n", lfnum.lnum); lfnum.lnum = lfnum.lnum >> 8; printf("fnum:%08lx\n", lfnum.lnum); lfnum.lnum &= 0xFFFF0000; printf("fnum:%08lx\n", lfnum.lnum); return 0; }


出力結果
fnum:3f9e0419
fnum:003f9e04
fnum:003f0000






double型にビット演算を行うサンプルコード


#include 

typedef union longlongdouble{
  long long llnum;
  double dnum;
}longlongdouble;

int main(void){
  longlongdouble lldnum = {0};
  lldnum.dnum = 1.2345;
  printf("fnum:%016llx\n", lldnum.llnum);

  lldnum.llnum = lldnum.llnum >> 8;
  printf("fnum:%016llx\n", lldnum.llnum);

  lldnum.llnum &= 0xFFFFFFFF00000000;
  printf("fnum:%016llx\n", lldnum.llnum);

  return 0;
}


出力結果
fnum:3ff3c083126e978d
fnum:003ff3c083126e97
fnum:003ff3c000000000


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住野よるさんの『また同じ夢を見ていた』が文庫化されていたので読んでみました。

『また、同じ夢を見ていた』は住野よるさんの2作目の小説です。

まだ、住野よるさんの作品は、『君の膵臓をたべたい』しか読んだことがありませんでしたが前作とは少し毛色の違う感じの物語でおもしろかったです。



『また、同じ夢を見ていた』のあらすじ


「人生とは和風の朝ごはんみたいなものなのよ」小柳奈ノ花は「人生とは~」が口癖のちょっとおませな女の子。

そんな彼女はある日、草むらで一匹の猫に出会う。

そしてその出会いをきっかけに奈ノ花は、とても格好いいお姉さんの"アバズレさん"、手首に傷がある"南さん"といった、様々な過去を持つ女性たちと出会います。

大ベストセラー青春小説『君の膵臓をたべたい』の住野よるが贈る、幸せな物語。


感想(ネタバレあり)


『君の膵臓をたべたい』とはまた違う住野よるさんの独特な世界観が広がっていてとても面白い作品でした。

一度読み終わった後、気になる箇所がいくつかありすぐにもう一度読み直してしまいました。読めば読むほど味がでてくるまるでするめのような作品です。

複数回読むことで一度読んだだけでは気づくことのできなかった真実にたどりつけるでしょう。

この作品は「幸せとは何か?」という疑問をひも解く物語ですが、一度だけではなく二度以上読むことで南さん、アバズレさん、おばあさん、小柳奈ノ花自身の幸せを見つけることができます。

また小柳奈ノ花の「人生とは~」から始まる口癖も少しませてみたい年頃の奈ノ花自身を表現できていて、なおかつそれだけではなく言葉の意味を考えると深い言葉になっているのも良かったです。

物語中でたびたび奈ノ花が歌う「三百六十五歩のマーチ歌」も本作のテーマにあっていました。


以下物語の中身についての感想になります。


物語の序盤で私は、奈ノ花、南さん、アバズレさん、おばあちゃんの四人が同一人物であるということに全く気が付きませんでした。序盤から察したという人はあまりいなさそう…。

私は、南さんがいなくなる場面でやっとこの四人が同一人物だったということに気が付きました。

南さんがいなくなる前に奈ノ花に「人生とは、自分で書いた物語だ。推敲と添削、自分次第でハッピーエンドに書きかえられる」というセリフを残しました。

このセリフで人生のある場面で間違った選択をしてしまった奈ノ花が小学生の奈ノ花自身にターニングポイントでミスを犯さないためのアドバイスをしに来てくれていたのだと分かりました。


南さんの幸せの答え


南さんは授業参観に来れなかった親に対して酷い言葉を投げかけてしまい、その後親が事故で亡くなってしまったため謝る機会が一生来なかった奈ノ花です。

南さんは、謝らないまま両親がなくなったことを悔いてリストカットをしてしまいます。

南さんが小学生の奈ノ花に親にどんなことがあってもしっかりと謝るようにしろということを教えてくれたおかげで、小学生の奈ノ花は親に謝ることができ南さんとは別の世界線の奈ノ花として生活を送ることができます。


南さんにとっての幸せの答えは「自分がここにいていいって認めてもらうことだ」です。

両親を亡くし孤児になった南さんは、自分を認めてくれる存在がいなくなったのでそれを取り戻したかったのでしょう。


アバズレさんの幸せの答え


アバズレさんは桐生君のお父さんがスーパーで泥棒をしたことをきっかけに、クラスメイトと喧嘩し、無視されるようになってしまった後関係を修復できなかった奈ノ花です。

クラスメイトと喧嘩した後の奈ノ花はアバズレさんに「誰とも関わらずに生きていく」と相談しに行きますがアバズレさんは奈ノ花が今後一人で生きていくとどういう道をたどるのかが分かっているため「それは駄目」と反対します。

アバズレさんが奈ノ花に人と関われば奈ノ花とアバズレさんのような素敵な出会いが起こることがあるかもしれないということを教えたおかげで、奈ノ花は一人で生きていくのではなくもう一度桐生君のもとを訪れて一人ぼっちではない人生を選択します。


アバズレさんが考える幸せの答えは「誰かのことを真剣に考えられるということだ」です。

他人と関わることがなくなったアバズレさんは色々なものを失ってただ奈ノ花と出会ったおかげで誰かと一緒に過ごすことの幸せさを思い出したのでしょう。





おばあちゃんの幸せの答え


おばあちゃんは、桐生君と向き合うことはできたが関係を修復できずに傷つけたことをずっと後悔しているなのかです。おばあちゃんは桐生君とは恋愛関係にはなることができませんでした。

おばあちゃんのアドバイスを聞いたおかげで小学生の奈ノ花は桐生君との関係を修復することができ、桐生君にとっての幸せとは何であるのかを聞くことができます。

桐生君の『僕の幸せは、僕の絵を好きだって言ってくれる友達が、隣の席に座っていることです。』というセリフを隣の席で聞けて幸せにならない人なんていなさそうですね。


おばあちゃんの考える幸せは「今、私は幸せだったって、言えるってことだ。」です。人生を長く生きていたおばあちゃんだからこそ気が付くことができる幸せのこたえですね。

ところで、おばあちゃんいつ奈ノ花が自分自身であると気が付いたのだろう?


奈ノ花が見つけた幸せの答え


最終章でいままでの物語は奈ノ花が見ていた夢であると分かります。奈ノ花は南さん、アバズレさん、おばあちゃんの三人のアドバイスのおかげで幸せな人生を歩むことができました。

奈ノ花の考える幸せは、「幸せとは、自分が嬉しく感じたり楽しく感じたり、大切な人を大事にしたり、自分のことを大事にしたり、そういった行動や言葉を、自分の意志で選べることです。」というものです。

三人の幸せをまとめた奈ノ花らしい素晴らしい幸せの答えですね。



最後に


本当に素晴らしい作品でした。多くの若い人にこの作品を読んでもらいたいですね。

『また、同じ夢を見ていた』を読んであなた自身の幸せを見つけることができましたか?

もし見つけられなかった人はゆっくりでもいいので奈ノ花のように素敵な自分だけの幸せの答えを見つけてください。


久しぶりに住野よるさんの作品を読みましたがやっぱり面白かったです。まだ読んでいない作品を読む前に『君の膵臓をたべたい』を久しぶりに読み返そうかな。





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映画化されるということで話題になっていたので東野圭吾さんの『パラレルワールド・ラブストーリー』の小説を読みました。

久しぶりに東野さんの作品を読んだのですが読みやすいしやはり安定の面白さがありますね。

また本作は初めて出版されたのが1995年とかなり前の作品であるにもかかわらず全く古臭さを感じさせない作品となっていました。



『パラレルワールド・ラブストーリー』のあらすじ


親友の恋人は、かつて自分が一目ぼれした女性だった。嫉妬に苦しむ敦賀崇史。

ところがある日の朝、目を覚ますと、彼女は親友ではなく自分の恋人として隣にいた。

そんな状況に混乱する崇史は、「どちらの世界が現実なのか」疑問を抱くようになる。

存在する二つの「世界」と消えない二つの「記憶」。

交わることのない世界の中で、恋と友情は翻弄されていく。


感想(ネタバレあり)


夢があるSF要素


冒頭にも書いたのですが本作品は本当に1995年にかかれたのではないのかと思えるほど現代的な内容となっているSF小説となっていました。

本作のSF小説の題材として脳科学や拡張現実(こちらは物語に直接的な関りはないが)などが扱われています。

拡張現実は近年では PlayStationVR が販売されるなどして実用段階が近い技術となっていますが『パラレルワールド・ラブストーリー』が執筆された当時では夢のまた夢のような技術であったのですがそれを物語中に上手く絡めているのはさすが東野圭吾さんだと感じました。

ただ技術的に1995年だとまだ開発があまり進んでいない段階なので当時の技術力を思い返すことができるのも面白いですね。

また本作のメインのSF題材となっている脳科学では業界でタブーとなっている人体実験が行われているという業界のタブーが行われています。

主人公の親友の智彦は脳科学の技術で人間の記憶の操作ができるのかという研究を行っており、作中ではこの技術が実現したことによりある悲劇が起きてしまっています。

2018年現在でも1995年と同様で記憶を操作するという技術は実現していませんがいつが実現する未来が来るのかもしれませんね。本作のように人体実験を繰り返さなければ実現できないような気がしますが。


交わる二つの世界


本作はタイトルにパラレルワールドとつくのでパラレルワールドものだと思いいざ読み始めてみるとそれは東野圭吾の巧みな罠でした。

物語序盤では二つの世界のうちの一つは崇史が智彦より先に麻由子に出会えた世界(電車の中)で、もう一つが出会えなかった世界なのかなと解釈していたのですがそれは全くの見当違いでした。

物語中盤に来ると失っていた崇史の記憶が徐々に戻っていくことで物語の真相が少しずつ分かり始めてくるため二つの世界が同じ時間軸の世界であり平行世界ではなかったことが分かります。

これに気づいたときはやられたなと感じてしまいました。

ネタバラシされてみるとパラレルワールドだと二つの世界の時間軸をずらす必要がないのだということに気が付きますがタイトルにパラレルワールドと入っているのでまさかそんなことをされるとは予想もしていませんでした。

この作品を読んだ他の人は物語序盤の時点で二つの世界がパラレルワールドではないということに気が付いていたのかが気になるところです。




友情か恋どちらを優先するべきか


私は本作で東野圭吾が伝えたかったことは人間は友情か恋どちらを優先するのかということだと思うのですが、どちらが正解かと言われると難しい問題ですね。まるで答えのない迷路のようです。

『パラレルワールド・ラブストーリー』では崇史と智彦の友情が真由子という女性が現れたことで壊れてしまいます。

崇氏は智彦との友情よりも真由子への思いを優先してしまいます。恋を優先した崇史は智彦も自分同様真由子のことを優先していると思い込んでいたのですがそれは崇史の勘違いでした。

物語の終盤で分かる事実ですが智彦は崇史のことを親友として信じていました。

そのため崇史が真由子のことを狙っているなどと想像すらしていなかったみたいで、崇史が真由子を好きであるという真実を知った智彦は自分の記憶をなくす(記憶をなくすだけではなくコールドスリープにする)ことで崇史との友情を保とうとします。

多くの読者は崇史よりも智彦に好感を持つと思いますが崇史が間違っているかどうか聞かれるとはっきり答えられないと思います。

あくまで私の意見としては友情を優先しろと思ってしまいます。ただ実際に崇史の立場に自分がたってしまった場合どうするべきか決められないんだろうな。

本作を読んだ他の方がどう思ったのかコメントなどで教えてくれると幸いです。


最後に


まだ真由子のことなど書きたいことは色々ありますがそれを書いてしまうとこの物語を否定してしまいそうなのでここらで筆をおきます。

もし本作を未読のかたがいればぜひ読んでみてください。

来年の映画でどんな風に表現されるのかが楽しみです。





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