森見登美彦さんの『新釈 走れメロス 他四篇』を読みました。
近代文学の作品を森見登美彦さんなりに現代風に解釈した作品ということでどんな風に物語が構成されているのか読むまで想像できませんでした。
作品を読んでみると近代文学五篇を見事に森見登美彦ワールドに落とし込ませており、それぞれの作品を独立させるのではなく連作として扱っていて面白かったです。
以下、あらすじと感想になります。
森見登美彦『新釈 走れメロス 他四篇』のあらすじ
山月記
1942年に中島敦が発表した作品。俗世を捨てて「詩」の世界に執着した男の末路を描いている。
京都吉田界隈にて、一部関係者のみに勇名を馳せる孤高の学生、斎藤秀太朗がいた。
彼は、留年と休学を使い分け何年も大学にいながら、小説の執筆活動を行っていた。
かつての友人が大学を卒業していく中、自分の信念を貫き小説を書き続けてきたがその活動は実ることがなかった。
そしてある日の夜、斎藤は山へと消えていく。
斎藤が消えて一年後、ある事件をきっかけに斎藤と後輩の夏目孝弘が山で再開することになる。
藪の中
1922年に芥川龍之介が発表した作品。ある殺人と強盗事件をめぐる証言の矛盾から、人間心理の複雑性を描いている。映画サークルが作成した、「屋上」という作品について様々な非難が監督の鵜山に寄せられた。
映画の内容は、元恋人の男女が屋上でよりを戻すというものだ。
この映画の問題は主演の男女が元恋人で、監督が女優の現在の彼氏であるということだ。
この作品では「屋上」に対する考えを映画サークルの後輩、斎藤秀太朗、監督を崇拝する後輩、主演女優の友人、主演男優、主演女優そして監督である鵜山の視点から描いている。
走れメロス
1940年に太宰治が発表した作品。親友であるセリヌンティウスを救うため、メロスが疾走する様子を描いた熱き友情の物語。
「芽野史郎は激怒した。」
気弁論部に所属する阿呆学生である芽野史郎は、図書館警察の長官によって部室を取り上げられたため、直接長官に直訴しに行った。
かつて恋人と親友に裏切られた過去がある長官は、部室を返す条件として学園祭のフィナーレとしてグラウンドに設営してあるステージで桃色のブリーフ一丁で踊れという無茶なことを提示してきた。
それに同意した芽野だったが、姉の結婚式を理由に一日の猶予をもらい、芽野の人質として親友の芹名を長官に預けた。
しかし、人質にされた芹名は芽野に姉などいなく戻る気がないことを知っていた。
芽野と芹名は長官に真の友情を証明することができるのだろうか。
桜の森の満開の下
1947年に坂口安吾により発表された作品。賊をも狂惑させる、女の恐ろしき「美」を描いている。
大学生の男は小説を書くことを生きがいとしていた。
男には小説を書きあげるたびに尊敬する斎藤秀太朗の元に小説を持っていき、添削してもらうという習慣があったが桜の木の下のベンチに座っている女と出会ったことで男の生活は一変する。
女は斎藤秀太朗の添削が男の作品を潰しているということで、男に添削に持っていくのを辞めさせた。
それからしばらくして男は女のことを小説に書くようになり一躍有名になる。
そして京都から東京に引っ越し、それからも男は成功を続け華やかな生活を送るのだが、男はどれだけ有名になろうと自分の作品に満たされない思いを抱えていた。
百物語
1911年に森鷗外により発表された作品。古来より親しまれる怪談会「百物語」での様子を描いている。
大学四年生の夏に当時配属された研究室から逃げ出し、イギリスに一ヶ月の語学留学に行った後、日本に帰ってきた際に友人のFからの誘いで百物語に参加することになった。
百物語に参加してみたが、人付き合いが苦手な私は百物語の会場での人の多さが嫌になり、夜が更けて怪談が始まる前に帰宅してしまった。
帰り際会場の前で、主催者であり会場の持ち主である鹿島に出会ったが特に引き留められることもなく帰路についた。
翌日、友人Fから百物語の様子を聞くとある疑問を抱くことになる。
主催者の鹿島がFの横に座っているのを目撃したのは、私だけでFは見ていないという。
それどころか私以外に会場に来ていた鹿島を見たものはいないらしい。
はたして鹿島は何者だったのだろうか…。
感想
本作に収録している作品はどれも京都を舞台に描かれています。
『夜は短し恋せよ乙女』や『四畳半神話大系』などと同じ世界感で描かれているためこれらの作品を知っている人は原作を知らなくても楽しめること間違いないでしょう。お馴染みの気弁論部なども物語に登場していました。
近代文学は現代と少し言葉の使い方や時代背景が違うこともありとっつきにくいというイメージがあるのですが、『新釈 走れメロス 他四篇』はそんな人でも読みやすいように描かれています。
本作だけ読むのもいいですが個人的には原作を知っている人ほうが本作と比較することができ、より楽しめると読了後に感じました。
私自身、原作を読んだことがあるのは「走れメロス」、「山月記」、「藪の中」の三作だけだったので他の二作もこれから読もうと思います。
原作を忠実に再現しているわけではない
本作のタイトルについているとおり新釈ということで、原作を完全に森見登美彦ワールドにまるまる置き換えただけではなく少しアレンジを加えています。
例えば走れメロスでは、原作とは違いメロスの代わりとして描かれている芽野は友人を助けにいくつもりがありません。
それでも原作と同じように、助けに行かないことで芽野と芹名の友情を描いています。
このように本作に収録されている作品は内容を完全に再現しているわけではないが、テーマは原作と同じものを描いており、現代でも読みやすいようにアレンジされています。
なのでこうして新釈した物語を読むと、歴史に名を連ねている文学作品は時代背景は違えどテーマはどの時代にも当てはまっていることが分かります。
その影響もあり、本作を読み終わった後には様々な近代文学作品を読みなおして自分なりに現代風に解釈したいなと感じました。
連作にしている良さ
原作はそれぞれが独立しています。
著者も違うし発表された年代も違うので当たり前なのですが、本作ではあえて独立している作品を連作として扱っています。
連作として扱っていることもあり、本書はかなり読みやすいなという風に感じました。
それぞれの作品が独立していることの良さでもあり、欠点でもあるのですが場所や時代背景が違うことが原因ですんなりと物語にのめり込めないことがあります。
本書はそんな欠点を連作とすることで上手に消しているなと感じました。
また、山月記に出てきた斎藤秀太朗は他の全ての物語に出演していることもあり一通り読み終わった後に再び山月記を読むことで斎藤秀太朗の考えをより理解できるに違いありません。
こういった風に感じることができるのも連作ならではの良さですね。
まとめ
『新釈 走れメロス 他四篇』はタイトル通り有名文学作品を現代風に森見登美彦さんが解釈しなおした作品でした。
近代文学に興味はあるが、文体などに抵抗がある人にとっての入門書としてお勧めです。
また、原作を読んだことがある人でも楽しめるような作りになっていますのでぜひ読んでみてください。