としおの読書生活

田舎に住む社会人の読書記録を綴ります。 主に小説や新書の内容紹介と感想を書きます。 読書の他にもワイン、紅茶、パソコン関係などの趣味を詰め込んだブログにしたいです。

2021年06月

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森見登美彦さんの『新釈 走れメロス 他四篇』を読みました。

近代文学の作品を森見登美彦さんなりに現代風に解釈した作品ということでどんな風に物語が構成されているのか読むまで想像できませんでした。

作品を読んでみると近代文学五篇を見事に森見登美彦ワールドに落とし込ませており、それぞれの作品を独立させるのではなく連作として扱っていて面白かったです。

以下、あらすじと感想になります。



森見登美彦『新釈 走れメロス 他四篇』のあらすじ



山月記


1942年に中島敦が発表した作品。俗世を捨てて「詩」の世界に執着した男の末路を描いている。


京都吉田界隈にて、一部関係者のみに勇名を馳せる孤高の学生、斎藤秀太朗がいた。

彼は、留年と休学を使い分け何年も大学にいながら、小説の執筆活動を行っていた。

かつての友人が大学を卒業していく中、自分の信念を貫き小説を書き続けてきたがその活動は実ることがなかった。

そしてある日の夜、斎藤は山へと消えていく。

斎藤が消えて一年後、ある事件をきっかけに斎藤と後輩の夏目孝弘が山で再開することになる。


藪の中

1922年に芥川龍之介が発表した作品。ある殺人と強盗事件をめぐる証言の矛盾から、人間心理の複雑性を描いている。


映画サークルが作成した、「屋上」という作品について様々な非難が監督の鵜山に寄せられた。

映画の内容は、元恋人の男女が屋上でよりを戻すというものだ。

この映画の問題は主演の男女が元恋人で、監督が女優の現在の彼氏であるということだ。

この作品では「屋上」に対する考えを映画サークルの後輩、斎藤秀太朗、監督を崇拝する後輩、主演女優の友人、主演男優、主演女優そして監督である鵜山の視点から描いている。


走れメロス


1940年に太宰治が発表した作品。親友であるセリヌンティウスを救うため、メロスが疾走する様子を描いた熱き友情の物語。


「芽野史郎は激怒した。」

気弁論部に所属する阿呆学生である芽野史郎は、図書館警察の長官によって部室を取り上げられたため、直接長官に直訴しに行った。

かつて恋人と親友に裏切られた過去がある長官は、部室を返す条件として学園祭のフィナーレとしてグラウンドに設営してあるステージで桃色のブリーフ一丁で踊れという無茶なことを提示してきた。

それに同意した芽野だったが、姉の結婚式を理由に一日の猶予をもらい、芽野の人質として親友の芹名を長官に預けた。

しかし、人質にされた芹名は芽野に姉などいなく戻る気がないことを知っていた。

芽野と芹名は長官に真の友情を証明することができるのだろうか。


桜の森の満開の下


1947年に坂口安吾により発表された作品。賊をも狂惑させる、女の恐ろしき「美」を描いている。


大学生の男は小説を書くことを生きがいとしていた。

男には小説を書きあげるたびに尊敬する斎藤秀太朗の元に小説を持っていき、添削してもらうという習慣があったが桜の木の下のベンチに座っている女と出会ったことで男の生活は一変する。

女は斎藤秀太朗の添削が男の作品を潰しているということで、男に添削に持っていくのを辞めさせた。

それからしばらくして男は女のことを小説に書くようになり一躍有名になる。

そして京都から東京に引っ越し、それからも男は成功を続け華やかな生活を送るのだが、男はどれだけ有名になろうと自分の作品に満たされない思いを抱えていた。


百物語


1911年に森鷗外により発表された作品。古来より親しまれる怪談会「百物語」での様子を描いている。


大学四年生の夏に当時配属された研究室から逃げ出し、イギリスに一ヶ月の語学留学に行った後、日本に帰ってきた際に友人のFからの誘いで百物語に参加することになった。

百物語に参加してみたが、人付き合いが苦手な私は百物語の会場での人の多さが嫌になり、夜が更けて怪談が始まる前に帰宅してしまった。

帰り際会場の前で、主催者であり会場の持ち主である鹿島に出会ったが特に引き留められることもなく帰路についた。

翌日、友人Fから百物語の様子を聞くとある疑問を抱くことになる。

主催者の鹿島がFの横に座っているのを目撃したのは、私だけでFは見ていないという。

それどころか私以外に会場に来ていた鹿島を見たものはいないらしい。

はたして鹿島は何者だったのだろうか…。





感想


本作に収録している作品はどれも京都を舞台に描かれています。

『夜は短し恋せよ乙女』や『四畳半神話大系』などと同じ世界感で描かれているためこれらの作品を知っている人は原作を知らなくても楽しめること間違いないでしょう。お馴染みの気弁論部なども物語に登場していました。

近代文学は現代と少し言葉の使い方や時代背景が違うこともありとっつきにくいというイメージがあるのですが、『新釈 走れメロス 他四篇』はそんな人でも読みやすいように描かれています。

本作だけ読むのもいいですが個人的には原作を知っている人ほうが本作と比較することができ、より楽しめると読了後に感じました。

私自身、原作を読んだことがあるのは「走れメロス」、「山月記」、「藪の中」の三作だけだったので他の二作もこれから読もうと思います。


原作を忠実に再現しているわけではない


本作のタイトルについているとおり新釈ということで、原作を完全に森見登美彦ワールドにまるまる置き換えただけではなく少しアレンジを加えています。

例えば走れメロスでは、原作とは違いメロスの代わりとして描かれている芽野は友人を助けにいくつもりがありません。

それでも原作と同じように、助けに行かないことで芽野と芹名の友情を描いています。

このように本作に収録されている作品は内容を完全に再現しているわけではないが、テーマは原作と同じものを描いており、現代でも読みやすいようにアレンジされています。

なのでこうして新釈した物語を読むと、歴史に名を連ねている文学作品は時代背景は違えどテーマはどの時代にも当てはまっていることが分かります。

その影響もあり、本作を読み終わった後には様々な近代文学作品を読みなおして自分なりに現代風に解釈したいなと感じました。


連作にしている良さ


原作はそれぞれが独立しています。

著者も違うし発表された年代も違うので当たり前なのですが、本作ではあえて独立している作品を連作として扱っています。

連作として扱っていることもあり、本書はかなり読みやすいなという風に感じました。

それぞれの作品が独立していることの良さでもあり、欠点でもあるのですが場所や時代背景が違うことが原因ですんなりと物語にのめり込めないことがあります。

本書はそんな欠点を連作とすることで上手に消しているなと感じました。

また、山月記に出てきた斎藤秀太朗は他の全ての物語に出演していることもあり一通り読み終わった後に再び山月記を読むことで斎藤秀太朗の考えをより理解できるに違いありません。

こういった風に感じることができるのも連作ならではの良さですね。



まとめ


『新釈 走れメロス 他四篇』はタイトル通り有名文学作品を現代風に森見登美彦さんが解釈しなおした作品でした。

近代文学に興味はあるが、文体などに抵抗がある人にとっての入門書としてお勧めです。

また、原作を読んだことがある人でも楽しめるような作りになっていますのでぜひ読んでみてください。






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森見登美彦さんの『夜行』を読みました。

『夜行』は森見登美彦さんの別の作品である『夜よ短し歩けよ乙女』などとは違い、ミステリアスな雰囲気で物語が描かれている作品でした。

読了後には、こういう作品も書けるのかという森見登美彦さんの新境地を感じさせられる作品となっておりました。

以下、あらすじと感想になります。


【目次】
あらすじ
感想
考察
まとめ




『夜行』のあらすじ


京都の英会話スクールに通う男女6人で鞍馬の火祭を見に行った日事件が起きた。

その事件とは仲間の一人である長谷川という女性が姿を消したというものだ。

彼女を見た人間はその日以来いない…。

長谷川が疾走してから十年後、大橋の呼びかけで長谷川を除く5人が集まり、鞍馬の火祭を見物することになった。

久しぶりに京都に来た大橋が集合時間まで街を歩いているとある画廊に長谷川に似た女性が入っていくのを目撃した。

後を追って画廊に入ったがそこには誰もいなかった。

その画廊で大橋は岸田道生という画家の『夜行』という銅版画に出会う。

その話を四人と合流した後に話すとそれぞれが岸田道生の『夜行』にまつわる、怪談のような旅行先のエピソードを語り始めた。

『夜行』と10年前の長谷川の疾走は何か関係があるのか…。





感想


この物語は、最後まで読んでも結局大橋はどうなったのか、長谷川に何があったのかが分からない不思議な物語でした。

タイトルにつけられている『夜行』という名前の通り、少し夜にでかける気分で本を読み始めたら、永遠に朝が来ない夜を歩き続けているかのような気分を味わわされました。

この物語の不思議なところは結末と大橋を除く4人が語った会談の不気味さにあります。

彼らが語ったエピソードの怖いところは結末にオチがなくよく分からないという状況で終わっています。

彼らの物語が一つずつ淡々と続いていきますが、読者からしてみたら中井、武田、田辺、藤村の四人はこの旅行先のエピソードが実話だとしたら生きた人間なのかという疑問が湧いてきます。

全員がこの怪談の中で最後に地獄のような世界に取り残されているので死んでいるのではと感じてしまいました。


また、結末では大橋が別の世界に行き、生きている長谷川と岸田道生に出会いましたが、その世界では長谷川の代わりに大橋が失踪しているという。

そして最終的には元の世界に戻ってきて、大橋が以前よりどこか晴れ晴れした感じで物語が終わります


正直物語が深すぎて、この深さは私が理解できる範疇を超えていました。

オチをあえて書いていないのは物語の答えは読者によって変わるよということを森見登美彦さんが我々に伝えたかったんですかね。

『夜行』は物語全体としては嫌いではないけど、面白い面白くいないで語れる作品ではない気がしますね。



考察


『夜行』という物語を完全には理解できていないので間違った解釈をしているかもしれませんが、簡単に考察をしていきたいと思います。


夜行と曙光の世界


夜行が大橋君がいる世界で、曙光が最終夜で現れた長谷川さんが生きていた世界だとします。

これらの世界の分岐点は、岸田道生の心によって分岐しているのではないかと私は思っています。

どちらの世界でも10年前の鞍馬の火祭を見に6人と岸田は来ていました。

そこで、岸田にとって理想の女性である長谷川さんに語り掛けることができたのが曙光の世界で、理想の女性を自身のものにしようとして殺害してしまったのが夜行の世界なのかなと思っています。

夜行の世界では、岸田は自分が殺した理想の女性を描き続けますがどれだけ描いても彼の闇が晴れることがなく最終的には過労死をしてしまったのでしょう。

結局この物語は、男が憧れの女性にいだいている気持ちを表現しただけの物語というのが私の解釈です。

正直4人の会談の考察や曙光の世界で大橋が疾走していた理由など考えていないのでがばがばですね。

考察というレベルでもない気がします…。

だた物語の楽しみ方は人それぞれなので私ぐらい浅く感がる人がいてもいいでしょう。



まとめ


『夜行』は本当に最後まで謎が多く残る物語でした。

たまにはこういう風に最後まで読んでも結末が分からず読者に考える余地を持たせる物語を読むのもいいですね。







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三浦しをんさんの『ロマンス小説の七日間』を読みました。

冒頭がロマンス小説から始まったため、ロマンス小説の世界の七日間を描いた本なのかなと思いながら読んでいたんですが、実際はロマンス小説翻訳家の七日間の生活を描いた作品でした。

ロマンス小説翻訳家の苦悩が描かれていてとても面白かったです。

以下、あらすじと感想になります。



『ロマンス小説の七日間』のあらすじ


あかりは海外ロマンス小説の翻訳を生業とする28歳の独身女性。

彼女は今ボーイフレンドの神名と同棲中である。

あかりは締め切りが残り七日間の中世騎士と女領主の恋物語の翻訳を翻訳し始めた。

そのロマンス小説のよく分からない時代設定にあかりが頭を抱えている中、神名が突然会社を辞めてきたと言って帰宅する。

神名の突然の退職宣言に困惑するあかりは、思わずその気持ちを自分が翻訳する小説にぶつけてしまい、中世騎士と女領主の恋物語があらぬ方向へと変わってしまう…。

現実の悩みが原因で現実での出来事がどんどん小説に反映されていく中、あるトラブルが発生する。

ロマンス小説と現実世界を行き来する、新感覚恋愛小説。



感想(ネタバレあり)


改変されまくりのロマンス小説に笑いが止まらない


普段ロマンス小説を読むことがないため、冒頭のロマンス小説部分を読んだときはあまり面白くないかなとか思っていたのですが、あかりがどんどんあらぬ方向に翻訳(創作)していくロマンス小説を読んでいくと笑いが止まらなくなりむちゃくちゃ面白かったです。

ロマンス小説の第三章を読んでいると現実世界の二日目であかりが語っていた内容と違うなとか思いながら読んでいたのですが、三日目を読むとあかりが作品を改変していることが分かったときは、「あかりやってしまったな!!」という気持ちになりました。

その後のウォリックが殺されてしまうシーンを読んでいると一日目で結末はアリエノールとウォリックが結ばれて終わるって書いていたのに主人公を殺してしまったことがすごく衝撃的でした。

まさか、結末が分かっているロマンス小説の主人公が殺されるなんて予想していなかったので結構な衝撃でしたね(笑)


『ロマンス小説の七日間』を読んでいると現実の翻訳家の方ってどんな気持ちで本を訳しているのかがすごく気になりました。

あとがきで三浦しをんさんも書いていたのですが、実際にあかりのようにロマンス小説を改変して翻訳しようとする人なんいません。

ただ、仕事として割り切っていても内容にツッコミがとまらない翻訳家の方とかはいそうですね。

また、作中であかりが性的描写で体毛の表現は日本人の読者にはいらないから入れないでくれと編集から注意を受けている場面がありました。

これを読んで翻訳の仕事って国や文化にあわせて翻訳する必要があるので、語学の知識だけでなく他の様々な知識や気配りが必要なんだなということが分かりました。

こういうのを見ると原作と翻訳された本を読み比べてみるのも面白そうだなとか思ったりしますね。





現実世界とロマンス小説のギャップ


この作品はロマンス小説を改変しまくるあかりを見ているだけでも面白いのですが、現実世界とロマンス小説のギャップを比較するのも面白かったです。

ロマンス小説と恋愛小説が並行して物語が進んでいくため、現実の複雑な恋愛につかれている人がシンプルでロマンティックな作品に手を出したくなる気持ちも分かりました。

ロマンス小説では、あかりが神名に告げられたみたいに恋人がいきなり仕事を辞めてくることなんてないし、恋人の浮気を気に掛ける必要とかはありません。

物語のゴールも決まっているため途中で苦悩があっても最終的には解決することが分かっています。

一方現実世界の恋愛は予想外の出来事の連続です。

自分が決めていたゴールが突然他人や恋人によって捻じ曲げられてしまうなんていうことはよくあることです。

この作品はロマンス小説のように思い通りにいかない恋愛の苦悩を描いていたのが良かったです。

主人公が28歳で結婚を考える年齢であるため、より一層親近感がわいてきたんでしょうね。おそらく主人公が学生とかだったらここまで面白い作品にならなかったと思います。



まとめ


『ロマンス小説の七日間』は現実と物語の恋愛のギャップを面白おかしく描いている作品でした。

また、ロマンス小説の楽しみ方を教えてくれる作品でもあるため、普段はあまりロマンス小説を読みませんが、王道展開のロマンス小説が読みたくなりました。





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2021年本屋大賞を受賞した町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』を読みました。

タイトルを見ただけではどのような物語か全然想像できなかったのですが、読了後はこの本にタイトルをつけるならこれしかないと思うほど、タイトルと内容がマッチしている作品でした。

以下、あらすじ感想になります。



『52ヘルツのクジラたち』のあらすじ


自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚。

彼女が義父の介護に疲れて死に場所を求めてさまよっていた時に、彼女の助けを求める声を聴くことができた"アン"と出会う。

アンと出会ってからわずか5日でずっと苦しめられてきた家族の呪縛から解放され、第二の人生を歩み始めた貴瑚。

それからしばらくは、アンや友人の三春と幸せな生活を送っていたがある事件をきっかけに彼女はこれまでの生活を捨てることとなった…。

第三の人生として彼女は亡くなった祖母が昔暮らしていた、海の見える大分の田舎に移り住んだ。

そこで、彼女は母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年にであう。

少年を見て昔の自分の姿と被った、貴瑚は少年を救うことを決心した。

孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らの出会い、新たな魂の物語が生まれる——。



感想(ネタバレあり)



『52ヘルツのクジラたち』というタイトルの意味


タイトルの『52ヘルツのクジラたち』という文字を見たとき単なる比喩的表現化と思いあまり意味を考えていませんでした。

しかし、物語を読んでいると52ヘルツのクジラとは他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、クジラのことをさしていました。

たくさんの仲間が近くにいたとしても自分の声が届かないためこの物語で52ヘルツのクジラとは孤独を表す象徴として表現されています。

この物語で52ヘルツのクジラのように自分の声を伝えることができない人物は、貴瑚、愛(ムシ、52と呼ばれていた少年)、アンさんの3人がいました。

彼らはそれぞれ家族関係や自分のことで悩みを感じていましたが、自分の考えをそのまま人に伝えることはできません。

彼らの声を聴くことができたのは自分と似たような人物だけでした。

自分の性の悩みを家族にも相談することができなかったアンは、貴瑚が一人歩いているのを見て彼女が鳴き声をあげ続けていることに気が付き、彼女を救いました。

アンに救われていたことに感謝をしていた貴瑚は、自分がアンを救うことができなかったという後悔を埋めるために愛を救います。

どんな人間でも長い人生の間で彼女らのように、ほとんどの人が聴くことができない鳴き声で助けを求めたことがあるのではないのでしょうか。

この『52ヘルツのクジラたち』というタイトルは、私たち読者に一人で悩んでいる声もきっと誰かに届くから、悩みを相談できる人に出会ってほしい。
また、他の人の悩みをどんな人でも聴くことができるんだよという町田そのこさんのメッセージと感じました。

ちなみに以下の動画でクジラの鳴き声って初めて聞いたのですが、なかなか幻想的ですね。

52ヘルツではないけどクジラの声が落ちつくという理由がなんとなくわかりますね。






児童虐待について


貴瑚はアンに出会って家族から解放されるまで、母と義父から虐待を受けていました。

愛も母から虐待を受けて過ごしました。

この物語を読んで児童虐待の恐ろしさというものを再認識しました。

児童虐待の恐ろしいことは、子どもは親なしで生きていくことができないためどんなに酷いことをされたとしても親に依存しなければならないということだと私は思っています。

貴瑚は母から虐待を受けて嫌われていることを実感していましたが、それでも母のことを愛していました。その理由は子どもであるがゆえに貴瑚が自分一人の力では生きることができないことを理解しており、母に依存していたからです。

愛は、幼少時の虐待が原因で人と話すことができませんでした。

そのため、自分が虐待を受けているということを周りの人間には発信することができず、逆にしゃべれない息子を持ったことで母親が苦労しているという風に噂されてしまいます…。


また、児童虐待を中途半端な正義感で止めようとすると子どもをより傷つけることになるということもこの物語で描かれてしまいました。

貴瑚の当時の担任が自己満足な正義感で貴瑚を救おうとしたことが原因で両親の貴瑚に対する虐待はエスカレートしていきました。

これを見て虐待は中途半端に救うのではなく、徹底的に救わないとだめであるということを感じました。

ただ、この問題は簡単には解決することができません。中途半端に救った人間が悪者として扱われてしまうようになると、児童虐待から救ってやるという人間は少なくなってしまうような気もします。

そのため、児童虐待を防止するためには国の総力をあげてこの根深い問題に立ち向かう手段を考える必要があるということを感じました。





田舎の人間のコミュニティ


この作品では田舎の人間のコミュニティの悪い面と良い面を描いていました。

悪い面は物語序盤から分かる通り、狭いコミュニティの中ですぐにあることないこと噂が広がる、人のプライベートな領域に土足でどしどし踏み入ってくるというものがありました。

貴瑚は、田舎の人間たちから元風俗嬢だとかいうありもしない噂が自分が知らない場所で広がっていたことを村中との会話で知り、田舎での生活を少し嫌に感じました。

また、貴瑚が働かない事情を知りもしない人間たちに若いんだから働けなどと言われたりもしていましたね。


良い面は、悪い面とは逆でお互いの事情を知っているからすぐに助け合いができるということです。

村中のおばあちゃんは、愛が母や祖父と上手くいっていないことをなんとなく察していたため、貴瑚の話を聞いてすぐに愛を助けるための行動にでました。

こうやって悪い面と良い面を見ると人とのつながりが苦でない人は田舎に住みやすいけど、自分の領域にやすやすと侵入されたくない人は都会に住む方が向いているのかなという感じがしますね。

ちなみに私は都会派ですね(笑)



まとめ


『52ヘルツのクジラたち』は人と人とのつながりの大切さを描いている作品でした。

もしかしたら自分の周りに助けを求めている人がいるかもしれません。

そういう人たちの声を聴こえないと一蹴するのではなく、聴く努力をしてみることで多くの人を救うことができるということを理解しました。

また、助けを求める人も勇気がいるかもしれませんが、人が聴くことができるように助けを求めることが大切です。

自分の声を多くの人は聴こえていないかもしれませんが、声を発信して一部の人に聞こえるようにすることで自分を苦痛から救うことができるでしょう。


また、本作は児童虐待や性的な問題などの昨今話題になっている社会的な問題についても多く触れていました。

そういった問題について少し考えることのきっかけになると思いますので、ぜひ未読の方は本書を手にとってみてください。







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今回は、日経デザイン編の『アップルのデザイン戦略 カリスマなき後も「愛される理由」』という本を紹介しています。



概要


本書は、アップルのハードウェアや箱などのデザインについて専門家による分析が書かれた本です。

デザイン分析の対象としている機種は、以下の7種類です。

  • iPhone5
  • iPod touch
  • iPad mini
  • iPod touch 16GB
  • iPhone5c
  • iPhone5s
  • Mac Pro

同世代の廉価版などを対象としていて、なかなか面白いラインナップとなっています。

本書の分析ではハードウェアの外装を分析するのはもちろんのこと、内部の回路設計についても言及されているためデザイナーからハードウェア設計者までの幅広いひとが楽しめるような作りになっています。

また、本書の後半ではSonyやSamsungといった他のメーカーが発売しているスマホやパソコンとアップルが販売している商品の比較も行われています。



学べる事

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  • アップルのハードウェアのデザインが優れている部分について
  • アップルの細部までのデザインのこだわり
  • デザインと生産性の関係について




読者対象


  • ハードウェアなどの物理的な商品を専門としているデザイナー
  • ハードウェア設計者
  • 加工技術に興味がある人
  • アップルのデザインのこだわりに興味がある人
  • デザインと価格を分析する企画関係の人




個人的な感想


私はソフトウエア技術者でハードウエアやデザインのことは詳しくありませんが、本書は文章だけではなく商品の写真などが多く乗っているため読んでいて楽しかったです。

ただ、専門的な用語がけっこうたくさんでてきたため、ハードウェアや加工技術に詳しくない場合言葉の意味などを調べるのが結構大変かもしれないとも感じました。

本書ではアップルの主にiPhone5の前後に発売された商品を分解していき、デザインについて語られていました。

他のアップルのデザインについて書かれている本は、ハードウェアの外側やソフトウエアのデザインについて言及している本が多いため、本書のように内部の基盤の回路に関するデザインなどについて語られている本はなかなか新しい気がします。

また、消費者としては廉価版は安く買うことができてラッキーぐらいにしか思っていませんでしたが、専門家による廉価版としてデザイン的に値段を抑えている部分の解説などはなるほどなという感じで勉強になりました。

メモリやCPUで値段を抑えていると思っていたのですが、細かい素材とかでも値段を抑えていたんですね。


ハードウェアの他にもパッケージの箱の作り方についての解説なんかが書かれていたのも面白かったです。

製品本体だけではなく箱の細部のデザインまでこだわっているということが分かり、アップルのデザインに対するこだわりの強さを改めて実感することができました。



まとめ


本書はアップルの製品の外部の消費者が見ることができる部分のデザインと内部の消費者には見えない部分のデザインについて細かく分析されている本でした。

アップルのデザインのこだわりについて知りたい方はぜひ読んでみてください。




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