としおの読書生活

田舎に住む社会人の読書記録を綴ります。 主に小説や新書の内容紹介と感想を書きます。 読書の他にもワイン、紅茶、パソコン関係などの趣味を詰め込んだブログにしたいです。

カテゴリ:書評 > 小説

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湊かなえさんの『落日』が文庫化されていたので、早速購入してきました。

本書は主人公の長谷部と千尋がとある事件のドキュメンタリー映画を作成するために過去に起きた事件の真相を少しずつ解明していくという物語でした。

事件の真相が解明されていくにつれて登場人物たちへの真相が大きく変化していき、面白い物語でした。

以下、あらすじと感想になります。



湊かなえ『落日』のあらすじ


新進気鋭の映画監督である長谷部香りには子どもの頃の忘れられない思い出がある。

彼女は忘れられない思い出の真相を知るために15年前に起きた『笹塚町一家殺人事件』という引きこもりの兄がアイドルを目指していた高校生の妹を刺殺し、その後放火して家族全員を死にいたらしめた事件の映画を撮影することを決めた。

そんな長谷部が脚本家として目をつけたのは笹塚町生まれの脚本家、甲斐真尋である。

真尋は東京の大学を中退して脚本家の門を叩いたものの、10年間脚本家としては上手く行っておらず仕事をやめ笹塚町に帰ろうか悩んでいた。

そんなときに長谷部からの誘いを受け真尋は脚本家としてもう一度挑戦してみようとして、長谷部とともに事件に向き合うことにした。

二人で事件について調査していくうちに、この事件には驚くべき真実が隠されていたことが分かる。

長谷部は映画を撮影することで、自身の知りたかった真相を知ることができるのだろうか。

真尋は脚本の作成を通してずっと逃げ続けていた事実と向き合うことができるのだろうか。



感想(ネタバレあり)


真実とはなにか


この作品は「笹塚町一家殺人事件」のドキュメンタリー映画の撮影に向けて物語が進んでいく。

その目標に向けた長谷部と真尋の奮闘を通してドキュメンタリー映画を撮影することの難しさを感じさせられた。

「笹塚町一家殺人事件」の真相を知っている人物は犯人の立石力輝斗だけである。

しかし、力輝斗には直接話しを聞くことができないため、長谷部と真尋は当事者本人からは事件の話を聞くことができず関係者たちから調査していくことになる。

様々な関係者に話を聞いていく場面を見ていて、関係者はあくまで関係者から見た主観でしか話をすることができないんだなと感じさせられた。

関係者の中には、事実を確認せずにマスコミや他人が話していた内容を自分の考えと置き換えて話すものもいたりした。


最終的に真尋は調査した結果と自分なりの解釈を混ぜ合わせて原稿を作成し、長谷部に提出した。

この原稿はこの物語を読んできた我々にとっては事件の真相が解明された答案のような原稿となっている。

しかし、あくまで真尋の主観が入っていてその原稿が事実を描いているかどうかは力輝斗にしか分からない。

今まで私はドキュメンタリー映画は事実を分かりやすく映像を見るものに伝えているものだと思っていたが、その事実もあくまで作成者たちの主観でしかないということをこの作品から学ぶことができた。

自分の目や耳をとおして調べていき、自分がなっとくした時点でその事実が自分にとっての真実となるのだろう。





落日というタイトルの意味


『落日』というタイトルの意味を物語の読み始めは、この物語では真尋や大畠凛子のように若かりしころ輝いていた人物の没落具合からつけているのかと思っていた。

しかし、物語を読み勧めていくにつれて落日というタイトルの解釈は段々と変化していく。

物語の中盤では、長谷部が考えていた夢のある真実が段々と陰りを見せていくことから落日というタイトルなのかもしれないと思った。

長谷部が描いていたサラちゃんは蓋を開けてみれば、虚言癖が多い人物だったという評判ばかり得られてサラちゃんの印象が悪くなっていくさまは落日というタイトルにぴったりだなとも思った。


しかし、物語を読み終えてからの私のタイトルに対する解釈はこれとも違った。

長谷部は父親の自殺をきっかけに人生が陰り始めるが、物語の最後では父親は自殺をしたのではなかったと分かり希望をみいだしている。

真尋は姉がなくなったという事実とようやく向き合うことができ、今後脚本家として生きていくか笹塚町に帰って生きていくかは分からないが、自分の人生を歩み始めることができる。

これらのことから私は最終的に落日というタイトルは「日が落ちて闇が溢れ出したとしても、いつかはまた日が昇り光が満ちてくる」という希望は消えないよという意味を持っているという解釈をした。

誰しも人生日が落ちてつらい時期もあるかもしれないが、いつかは日がのぼり幸せが待っているということを湊かなえさんは我々読者に伝えたかったのかもしれない。



まとめ


『落日』は真実とは何なのかということを描いている作品でとても面白かったです。

最近の湊かなえさんの作品は昔ながらのイヤミス感が残っているながらも、最後に希望が持ているという後味の良い作品が増えてきた気がします。

次の湊かなえさんの作品も楽しみだな。




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『そして、バトンは渡された』で有名な瀬尾まいこさんの『傑作はまだ』を読みました。

本作も特殊な形ではありますが家族の絆を描いている作品でした。

主人公の世間とは少しずれた感覚が面白く、読み始めると読了まで止まらずにすぐに読み終わってしまいました。

以下、あらすじと感想になります。



『傑作はまだ』のあらすじ


そこそこ売れている50歳の引きこもり作家である私の元に、突如生まれてから一度も会ったことない25歳の息子である永原智が突然やってきた。

彼は私が大学を卒業してからしばらくした後にたまたま一度だけ体の関係を持った永原美月の子どもだ。

子どもができたと知った彼女は子どもを産むと言ってきたが、彼女との性格の合わなさに結婚はせず毎月養育費として10万円を送るということになった。

それから、25年が経過し初めて息子に会ったが、智は見た目こそ私に似ているものの性格は私と正反対で人付き合いも得意で要領も良い。

そんな強引な智に押されて、バイト先から近いという理由だけで智との共同生活が始まった。

血の繋がりしかないと思っていた智との生活だったが、彼と過ごす間に私には今まで感じたことない感情が湧いてくるようになる。

特殊な父と息子の関係を描いたハートフルストーリー。





感想(ネタバレあり)


人との出会いで変化していく主人公


『傑作はまだ』の主人公である加賀野は引きこもりで根暗で、人との関わりは数ヶ月に一度ほど編集者の人間としか関わらないという少し世間から離れた人物でした。

こんな主人公に対して多くの人は共感できないと思うかもしれませんが、私は結構共感できるところがあるなと感じました。

私自身も社会人になってから、学生時代の頃と比べて友人と遊ぶ回数が減りが、仕事で関わるような人としか関わることがほとんどないため、加賀野とは少し違いますが引きこもりに近い人間です。

同じ引きこもり人間として加賀野の自治会に入るなどして無駄な関わりを持ちたくないなどの気持ちがすごく分かりました。

ただ、加賀野は智との出会いをきっかけに自治会の人など今まで出会ったことがない人と関わりを持ち成長していきます。

また、智と出会ったことでスターバックスに行ってみたり、無関心だった食事に興味を持ったりなど作家として生きること以外にも楽しさを見出していきます。

こんな加賀野を見ていると、私自身も新しい人と出会ったり、今まで経験したことのないことに挑戦したりして成長しないとダメだなと思わされました。


物語の結末について


『傑作はまだ』の中で「小説じゃないんだから、最後だからといって、すべてが明かされるわけではないだろう」という台詞が印象的です。

この台詞を見たときこの物語は最後には智が突如、加賀野の元を訪れた理由なども明かされるのかどうかがとても気になりました。

結果として、この物語は智が主人公が自殺する作品ばかりを描いている加賀野を心配して訪問してきたなど謎が明かされて、物語らしい幸せな終わり方をしていました。

もしかしたら人によっては、今後加賀野がまた一人で寂しく生きていくという終わり方の方が好きだという人もいるかもしれません。

しかし、私としては物語の中ぐらい幸せな結末を描いていて良いと思っています。

現実にもし加賀野のような人生を歩んでいる人がいたら、加賀野と同じようなことをしても上手くいかないかもしれません。

ただ、この物語の幸せな結末を読むことで自分も一歩踏み出してみようと思える人が増える可能性もあるので、個人的にはこのハッピーエンドはかなり気に入っています。



まとめ


『傑作はまだ』は瀬尾まいこさんの作品を一度でも読んだことがある人なら必ずハマる作品だと思うのでぜひ読んでみてください。

自分も加賀野を見習って色々と新しいことに挑戦していこうと思います。




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筒井康隆さんの旅のラゴスを読みました。

人生という旅にはいつまでも終わりがないということを教えてくれる作品でした。

普通とは少し違うSF要素があったのも面白かったです。

以下、あらすじと感想になります。



『旅のラゴス』のあらすじ


その世界の人々たちは、私たちが日常的に利用している自動車や電車などの高度な文明を失った代わりに壁抜けや集団転移などの超能力を得た。

そんな世界で旧文明の知識を得るために北から南へ、南から北へ旅をする男がいた。

その男の名はラゴス。

ラゴスは集団転移や壁抜けなどの体験や様々な人たちとの出会いと別れを繰り返して旅を続ける。

旅の途中で奴隷の身に落とされることもあったがそれでもラゴスは自分の目的を達成するために旅を続ける。

ラゴスが障害をかけた旅の目的を果たした後に見つけるものは何なのか。

一人の男の一生を描いた、SF旅小説。



感想(ネタバレあり)


説明されない世界感


一般的なSFとは物語の途中で世界観の説明があるのが一般的である。

例えばハリーポッターなら魔法が使える人々が存在するんだなと物語の冒頭を読めば小説の世界観を掴むことができる。

しかし、この『旅のラゴス』ではそういった世界観の説明が一切ない。

私たち読者はなんの知識ももたないままラゴスが生きている世界に投げ出されるのだ。

まず私が読んでいてこの世界はなんだと感じた最初の存在はスカシウマである。

ウマという名前がつくのだから我々の世界にいるウマのような生き物だとは想像できるがどんなウマかまでは詳細に描かれておらず、物語を読み終えてもスカシウマの正体を想像することができない。

ラゴスの生きる世界はこうした知らない生物たちばかりが現れる私たちが生きる世界とは違う世界なのだなと思いながら物語を読んでいると一気に現実に戻される場面がある。

それはラゴスたちがマテ茶を飲むシーンだ。

日本人でマテ茶をよく飲むという人は少ないかもしれないが、現実に存在するお茶だ。

このマテ茶を飲むシーンを読んで私たちは初めてこの世界が、現代の文明が滅びた後の世界なのだと知ることができる。

このように物語を読み進めていくにつれてこの物語の世界観を知ることができるため、小説を読んでいるだけでまるで私もラゴスと同じように旅をしているような気分を味わうことができるのが本作の面白いところだ。





人生の目的とは


有名企業に就職すること、お金持ちになることなどを人生の目的としている人は多いと思う。

そうした目的を持つことは悪いことではないが、『旅のラゴス』を読んで人生の目的というものは常に更新されて終わりがないのだということを感じさせられた。

ラゴスの当初の目標は、南の旧文明の情報が隠されている地に向かうことだった。

彼はバドスの町で奴隷狩りに会い、一時は奴隷に身を落としたがそれでも何十年もかけて南の地に到達した。

もちろん南の地に到着しただけでもすごいことなのだが、ラゴスのすごいところはそれだけではない。

彼は自分の人生の終点をその地とせずに旧文明の知識を自分の住んでいた地に持ち帰ろうと新しく目標を持つのだ。

さらにその目標を達成すると彼は何十年も前に愛していた女性デーデに会うため再び旅へと出る。

『旅のラゴス』を読んで人生という旅は自分が死ぬまで終わりがないのだということを再度認識することができてよかった。

自分も今の現状に満足せずに常に旅を続けなければならないという風に感じさせられた。



まとめ


『旅のラゴス』はSF小説ではあるものの、世界観の説明が少ないどこか変わった作品だった。

また、旅小説としてもラゴスの落ち着いた性格のおかげか物語に起伏はあるものの落ち着いて読むことができる。

これらの二つの要素のおかげで自分をラゴスという人物に投影することがしやすくまるでラゴスのように自分が旅をしている気分を味わうことができる作品だった。

『旅のラゴス』を読んで皆さんも未知の世界にでかけてみませんか。








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『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞した町田そのこさんの受賞後第一作目の『星を掬う』を読みました。

親と子のつながりを描いた作品で、個人的には『52ヘルツのクジラたち』より『星を掬う』の方が好みの作品でした。

以下、あらすじと感想になります。



『星を掬う』のあらすじ


千鶴は小学校1年生の夏休みに母に捨てられた。

母との最期の思い出は母と二人で夏休みに色々なところに旅行をしたところだ…。

30歳手前になった千鶴は、元夫のDVが原因で金銭的にも身体的にも苦しい状況にある。

千鶴は賞金ほしさに、母との最期の思い出をとあるラジオ番組に投稿してみた。

するとそのラジオを聞いた、恵真という母の娘を名乗る人物から会いたいという連絡がきた。

恵真に会ってみると彼女は母とは血がつながっているわけではないが、母に育ての親として感謝をしているようだ。

恵真に一緒に住もうと言われた千鶴は、元夫のDVから逃げたいということもあり、恵真と母が住む「さざめきハイツ」に向かいそこで千鶴を捨てた母と再会することになる。

自分の記憶とは違う母と出会い戸惑う千鶴であったが、彼女たちと暮らしを通して、千鶴は母が自分を捨てた理由の真実を知ることとなる。

普通の母親と娘の関係を気づくことができなかった、女性たちの物語。



感想(ネタバレあり)


人生は誰のものか


『星を掬う』を読んでいると人生は誰のためのものなのかということを常に考えさせられました。

主人公の千鶴は小学校のころに母から捨てられたことが原因で、自分の人生は上手くいっていないという風に考えていました。

このような考え方は自分の選択に責任をとるのが難しい、小学生や中学生なら許されるかもしれません。

しかし、大人になってまでこのような考えを持っていた千鶴は、人生の悪かった原因を母である聖子に責任転嫁していただけでしかありませんでした。

千鶴はさざめきハイツに来てからもそのことになかなか気づけませんでしたが、美保を見て彩子に対して自分と同じような態度をとっていたことから、自分の選択の失敗の原因を聖子に押し付けていただけだと気づきます。


また、聖子も聖子の母(千鶴の祖母)がなくなるまで人生を母に支配されながら生きていました。

しかし、聖子は母が亡くなったことをきっかけに、今までの全てを否定してでも自分らしい人生を送ることを決意しました。


彼女たちを見ていて「人生は誰のもの」という質問を問われたら、「人生は自分のものだ」と堂々と答えることができる人間になりたいと感じさせられました。





行動することで、つかめる幸せ


千鶴を見ていると幸せをつかむために行動することが大切だということを伝えられました。

千鶴は賞金目的とはいえラジオに自分の思い出を投稿するということがきっかけで自分の人生を大きく変化させることになりました。

もし、千鶴がラジオに投稿しなかったり、恵真と会わなかったり、いつまでたっても聖子と向き合おうとしなければ千鶴は幸せを掴めなかったに違いありません。

彼女は行動したからこそ、母が自分を捨てた真の理由を知ることができ、人として成長することができました。


親や先生の言う通りのことをする人間は世間から見たら良い子に見えるのかもしれません。

しかし、そのようなしつけを行っていると自分の行動に責任をとることができない人間が育ってしまいます。

子どもの幸せを願うのであれば、自分で行動することができて自分で幸せをつかめるような教育をする必要があるのだなと感じました。



まとめ


『星を掬う』は自分の人生に責任を持つことと行動することの大切さを教えてくれる作品でした。

また、物語をとおして人の暖かい心というものが常に感じることができました。

本屋大賞受賞作家の作品として申し分ない作品ですので未読の方はぜひ読んでみてください。







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森見登美彦さんの『熱帯』を読みました。

帯に売り文句として「あなたが思うより不可解です。」と書かれていたが、その売り文句通り本当に不可解な物語でした。

物語中で奇妙な小説として登場した熱帯に、本書を読み進めていくにつれて自分もどんどんとらわれていきました。

この記事では私なりの熱帯の考察を書いていきます。



『熱帯』のあらすじ


森見登美彦が学生時代に読んでいた「熱帯」という本がある。

その本は、「汝にかかわりなきことを語るなかれ しからずんば汝は好まざることを聞くならん」という謎めいた文章で始まる奇妙な小説だ。

内容もとにかくなんだかよく分からない小説なのだが、森見はその本に心を惹かれ大事に毎日少しずつ読んでいた。

森見がその本を読み始めてから三日目に熱帯は森見の手元から忽然と消えてしまう。

その本を買い直せばいいと思っていた森見であったがいくら書店を探せどその本は森見の前に二度と現れることはなかった。

そのため森見は熱帯の結末を知らない…。

それから数十年後、有名作家となった森見は再び熱帯を東京へとでた。

東京にはすでに熱帯に夢中になった一団がいたが、彼らもみな熱帯を読んでいる途中にその本が消失してしまい熱帯の結末を知らない。

熱帯を読んだものはみんな物語にでてくる摩訶不思議な光景に心をとらわれている。

熱帯とはどのような小説なのか、そして森見たちは熱帯の結末を知ることができるのか。

一つの物語を追いかけた摩訶不思議な物語がここにはじまる。


感想(ネタバレあり)


熱帯を読了した直後の私の感想はけっきょくどういうことだというものだった。

佐山尚一が書いた熱帯を追う物語を読んでいたと思っていたのだが気づいたら、佐山尚一が不可思議な世界で書いた熱帯という物語に出会って物語はしめられていた。

読んでいる途中は場面が最初の森見さんが熱帯を探しているシーンに戻ってくるとばかり思っていたため正直衝撃的な終わり方すぎて言葉を失ってしまった。

白石さんに手紙を残した池内氏は、京都で消息不明となった千夜さんは、熱帯という物語を残して消えていった佐山尚一は…自分の頭のなかを整理することができない。

熱帯という不可思議な物語の真実を見つけ出す作品を読んでいたと思ったら、いつの間にか物語の中で物語が語られていく、千夜一夜物語のような作品となっていき、いつしか自分が熱帯という世界に囚われていたのだ。

熱帯の不気味さに正直冷汗が止まらない…。

とりあえず落ち着いてもう一度熱帯を読み直して自分なりに熱帯を考察してみることにした。





自分なりの考察


よく分からない考察ではあるが、私たちは熱帯を探す物語ではなく、熱帯を途中まで読んだ森見さんが書いた熱帯という物語を読まされていたのだ。

自分で文章を書いていてもよく分からないがここで熱帯という物語について整理してみたい。

熱帯という物語が複数個あるとしよう。

一つは森見さんや白石さん、池内さんが追っていた熱帯。これを熱帯1としよう。

この熱帯1は佐山尚一が5章の最後で一人書き続けていた手記だと思ってよいだろう。

彼らの世界で佐山尚一なる人物が存在を消しているのは、おそらくその世界に存在していた佐山尚一という人物が別の世界線に飛ばされてしまったからではないのだろうか。

後記の佐山の言葉から佐山が別の世界線で生きていることがなんとなくだが想像できる。


二つ目は、千夜さんが持っていた熱帯だ。

作中で千夜さんが消えたときに手紙に残した「私の『熱帯』だけが本物なの」という言葉は印象的だ。

これは恐らく熱帯という物語に登場した人物はそれぞれの熱帯の世界で感じた熱帯という作品を持っているという意味だと私は解釈した。

千夜さんは佐山が体験した熱帯という物語の中で一人の登場人物として現れた。

おそらく千夜さんの持っていた熱帯は物語の途中で、千夜さんの視点に切り替わって進められていっているのではないのだろうか。

千夜さんが持つ熱帯を熱帯2としよう。


そして最後は私たちが読む、森見登美彦が書いた熱帯だ。これを熱帯3としよう。

我々は物語の途中で熱帯1を読んでいたと思っていたのだが実際読んでいたのは森見さんが書いた熱帯3だったのだ。

おそらく森見さんは物語を読んだ人がその物語を書いても同じ物語を作ることはできないということを伝えたかったのではないのだろうか。

物語が終わったように感じなかった熱帯を参考に私が熱帯を書いたら部分的には元の熱帯という作品に似たような小説になるかもしれないが、それはあくまで私の解釈によって自由に書かれた熱帯になるに違いない。

人によって物語の解釈は千差万別だということを森見さんは読者に伝えたかったのではないのだろうか。

ここまで読んでいるとよく分からない考察だが、自分が理解しているつもりになっていたらそれでいいのだろう。



まとめ


この物語をどう感じるかは人によってかなりの差があるだろうが私的には非常に満足できる作品であった。

千夜一夜物語を知っていたらこの作品をより楽しめたのかもしれないので、いつかは千夜一夜物語を読んで再び熱帯を読んでみたい。







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