としおの読書生活

田舎に住む社会人の読書記録を綴ります。 主に小説や新書の内容紹介と感想を書きます。 読書の他にもワイン、紅茶、パソコン関係などの趣味を詰め込んだブログにしたいです。

カテゴリ:書評 > 小説

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だいぶ前に購入して読むのを忘れていた、長谷川夕さんのデビュー作『僕は君を殺せない』を読みました。

本書は中編である『僕は君を殺せない』と短編である『Aさん』と『春の遺書』から構成されています。中編と短編が混ざっている本はなかなか見ないので、目次を見た時点で珍しい構成だと感じました。

以下、書く物語について感想を書いていきます。ネタバレも含むので未読の方は注意してください。



僕は君を殺せない


夏、クラスメートの代わりにミステリーツアーに参加し、最悪の連続猟奇殺人を目の当たりにした『おれ』。最近、周囲で葬式が相次いでいる『僕』。——一見、接点のないように見える二人の少年の独白は、思いがけない点で結びつく……。

この作品は『おれ』(たぶん名前は明記されていない)と『僕』(清瀬誠)の二人の視点で物語が進んでいきます。

物語序盤では、『おれ』の視点では高額なアルバイト代のために参加したミステリーツアーで連続猟奇殺人に巻き込まれてしまい、殺人犯から逃げ出すために四苦八苦している様子が描かれています。一方、『僕』の視点では同じ高校に通うレイと半同棲生活を楽しそうに送っている様子が描かれています。

時系列がバラバラであり、二人の視点がけっこうな頻度で入れ替わっていくため、読み始めた時点ではなかなか物語の構造がつかめませんでした。しかし、物語が進むと『僕』の正体が『おれ』が参加したミステリーツアーの連続猟奇殺人犯であると分かったあたりから物語にどんどん引き込まれていきました。


『僕』は自殺してしまった父の恨みを晴らすために、次々と父が残したメモに名前がのっている親族を殺していきます。『僕』が事務的に殺害を行っていくこともあり、読んでいる途中は『僕』が感情のないロボットのように感じてしまいました。ただ、レイちゃんと一緒にいるときの『僕』は楽しそうで人間らしいところもありました。それも相まって、レイちゃんも殺害する対象であると分かったときの衝撃はすさまじかったです。

『おれ』は『僕』とは相対的な人物として描かれており、感情を表現する描写も多いことから人間らしい人物だという印象が強かったです。ただ、主役はあくまで『僕』なので『おれ』がどういった人物であるのかが細かく語られていなかったのが残念でした。


最終的に『僕』はレイを殺さなかったのですが、物語の終わりでは『僕』は意識不明で、レイは僕と過ごした記憶を失ってしまったということが『おれ』視点で語られています。バッドエンドではないがハッピーエンドとも言い難い終わり方でなんともいえない気分になりました。


タイトルの『僕は君を殺せない』の僕は『僕』のことだと明確に分かるのですが、君はレイちゃんのみのことを示すのか、それとも『おれ』も含むのか難しいところですね。本作を読んだ他の人はタイトルをどう解釈したのだろうか…。



Aさん


この物語はオチを読んで恐怖を感じました。

大人になった主人公である『わたし』が小学生のころに怖がっていたAさんと同じように風呂場で死体を解体しているというオチでしたが、最初の描写では主人公は掃除が好きでただ黙々と掃除をしているだけだと思っていたのでそのギャップがすさまじかったです。

しかも、『わたし』のもとにもAさん同様、殺した人の幽霊が訪れるという物語のしめかた。

短編小説には最後のどんでん返しがすごい作品がけっこうありますが、ここまで衝撃的だった作品は久しぶりな気がします。

春の遺書


この短編も『Aさん』と同じように幽霊が登場するのですが、『Aさん』と比べると物語のコンセプトが一味違う作品でした。

物語の途中では主人公の祖父は祖父の弟である康二朗に対してよっぽどひどいことをしたのだろうなと思っていたのですが、読み終わると祖父は康二朗が駆け落ちしようとした女性を追って自殺をしないように女性の遺品を隠していたという弟思いの人物でした。

祖父はそれさえ渡さなければ康二朗が自殺することはないと考え、死ぬ直前でも遺品のありかを康二朗に教えませんでした。しかし祖父の死後、康二朗は遺品はもう二度と自分の手元には戻らないと思い自殺してしまいます。

康二朗がけっきょく自殺してしまうのならば祖父はどうするべきだったのでしょうか。遺品を渡して康二朗に恨みなく自殺してもらった方がましだったのかもしれませんがそれが正解であったとは言えません。

なんだか複雑な作品です…。

最後に


長谷川夕さんの作品を初めて読んだのですが、どの物語も私的にはかなりつぼに入りました。この機会に他の作品も買ってみようかな。




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4月から吉高由里子さん主演でドラマがスタートする朱野帰子さんの『わたし、定時で帰ります』を読みました。刊行されてたった一年でドラマ化されるだけあり、内容はとてもおもしろかったです。

現実では『わたし定時で帰ります』の主人公である東山結衣のように、毎日定時で帰るというのは難しいんでしょうが、物語が現実に近いということもあり、読んでいると普段のストレスが吹き飛ぶような作品となっていました。

日ごろ仕事で残業が多くストレスが溜まっている人にはけっこうおすすめできる作品だと思います。

以下、感想を書いていきます。ネタバレもあるので未読の方は注意してください。



本当に残業は必要なのか?


主人公の東山結衣はどんなことがあってもとにかく定時で帰ろうとする30代前半の女性社員です。

日本の多くの企業では残業をしない人間に対して、仕事へのやる気が感じられない、一人だけ楽をしているなど悪い印象を持つ傾向がありますがそれは本当に正しいのでしょうか?

結衣は毎日定時で帰りますが、仕事ができない人間というわけではありません。

正直私は、だらだら仕事をする人間よりも、結衣のように仕事とプライベートでしっかりと切り替えることのできる人間の方が評価が高くなるのが正しいと思っています。

本作の第三章でスポットがあたっている若妻徹は、残業を会社に泊まり込み朝までしていますが、だらだらと仕事をしているだけで無駄が多く、通常の勤務時間も残業の影響で疲れてしまい効率が落ちてしまっています。

こんな風に残業をしていても仕事量が残業をしていない人間よりも少ない人は現実でもいます。

会社は残業をしていない人間を残業するように仕向けるよりも、効率的に仕事ができていない人間を変える方が正しいのではないのでしょうか。

結衣のように全く残業をしないというのは極端な例ですが、日本の社会も結衣のように残業時間が少ない人間を評価する傾向に変わっていてほしいです。


ブラック上司 福永清次


本作で結衣の最大の宿敵は、部下に残業をさせることを何とも思わないブラック上司 福永清次でした。

福永は自分が評価されるためなら、部下が残業でどれだけ苦労しても気にしないような典型的なブラック上司です。さらに、自分はほとんど残業をせずに帰ってしまうので、ただのブラック上司よりなおさらたちが悪いです。

人間なので他人からの自分の評価が気になる気持ちは分かるのですが、それならば部下からの自分の評判も気にしてほしいところです。

福永は相手の弱みに付け入るのが得意で、部下に残業するように仕向けます。しかし、最終的にはそれが原因で部下に謀反を起こされてしまいます。

現実でもこんな風に謀反を起こされるようなことはありそうなので、時代は違えど人間の考え方は戦国時代とあまり変わっていなのが分かりますね。

この作品を読んだ人に自分は福永のようなむちゃくちゃな上司ではないか、部下に寝首をかかれないように一度見直してほしいところです。




結衣の恋の行方


結衣は最終的に、しばらく残業が続き婚約者よりも仕事を優先してしまったことが原因で婚約者の諏訪巧に浮気をされてしまいます。

仕事のせいで浮気された結衣はショックだっただろうが結果的にはこれで良かったのかもしれません。結衣は巧が残業をせずに仕事よりも趣味を優先するような人間であったため、以前付き合っていた仕事人間の晃太郎よりも価値観があうと思い付き合い始めました。

しかし、結衣は巧の良い点だけ見て悪い点からは目を背けていたのでいつかは合わなくなり上手くいかなくなったと思うので、結婚前にその事実を知ることができて良かったと思います。

恋愛相手を選ぶときは自分と考え方が合うのかという良い点をみることも大切ですが、案外価値観がずれていたほうがお互いの刺激になり上手くいくのかもしれませんね。

価値観が違う結衣と晃太郎で今度こそ幸せになってほしいです。


最後に


原作が面白かったのでドラマが始まるのが楽しみです。

もしドラマしか見ていない人がいたら原作も面白いのでぜひ読んでみてください。


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