2021年本屋大賞を受賞した町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』を読みました。
タイトルを見ただけではどのような物語か全然想像できなかったのですが、読了後はこの本にタイトルをつけるならこれしかないと思うほど、タイトルと内容がマッチしている作品でした。
以下、あらすじ感想になります。
『52ヘルツのクジラたち』のあらすじ
自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚。
彼女が義父の介護に疲れて死に場所を求めてさまよっていた時に、彼女の助けを求める声を聴くことができた"アン"と出会う。
アンと出会ってからわずか5日でずっと苦しめられてきた家族の呪縛から解放され、第二の人生を歩み始めた貴瑚。
それからしばらくは、アンや友人の三春と幸せな生活を送っていたがある事件をきっかけに彼女はこれまでの生活を捨てることとなった…。
第三の人生として彼女は亡くなった祖母が昔暮らしていた、海の見える大分の田舎に移り住んだ。
そこで、彼女は母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年にであう。
少年を見て昔の自分の姿と被った、貴瑚は少年を救うことを決心した。
孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らの出会い、新たな魂の物語が生まれる——。
感想(ネタバレあり)
『52ヘルツのクジラたち』というタイトルの意味
タイトルの『52ヘルツのクジラたち』という文字を見たとき単なる比喩的表現化と思いあまり意味を考えていませんでした。
しかし、物語を読んでいると52ヘルツのクジラとは他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、クジラのことをさしていました。
たくさんの仲間が近くにいたとしても自分の声が届かないためこの物語で52ヘルツのクジラとは孤独を表す象徴として表現されています。
この物語で52ヘルツのクジラのように自分の声を伝えることができない人物は、貴瑚、愛(ムシ、52と呼ばれていた少年)、アンさんの3人がいました。
彼らはそれぞれ家族関係や自分のことで悩みを感じていましたが、自分の考えをそのまま人に伝えることはできません。
彼らの声を聴くことができたのは自分と似たような人物だけでした。
自分の性の悩みを家族にも相談することができなかったアンは、貴瑚が一人歩いているのを見て彼女が鳴き声をあげ続けていることに気が付き、彼女を救いました。
アンに救われていたことに感謝をしていた貴瑚は、自分がアンを救うことができなかったという後悔を埋めるために愛を救います。
どんな人間でも長い人生の間で彼女らのように、ほとんどの人が聴くことができない鳴き声で助けを求めたことがあるのではないのでしょうか。
この『52ヘルツのクジラたち』というタイトルは、私たち読者に一人で悩んでいる声もきっと誰かに届くから、悩みを相談できる人に出会ってほしい。
また、他の人の悩みをどんな人でも聴くことができるんだよという町田そのこさんのメッセージと感じました。
ちなみに以下の動画でクジラの鳴き声って初めて聞いたのですが、なかなか幻想的ですね。
52ヘルツではないけどクジラの声が落ちつくという理由がなんとなくわかりますね。
児童虐待について
貴瑚はアンに出会って家族から解放されるまで、母と義父から虐待を受けていました。
愛も母から虐待を受けて過ごしました。
この物語を読んで児童虐待の恐ろしさというものを再認識しました。
児童虐待の恐ろしいことは、子どもは親なしで生きていくことができないためどんなに酷いことをされたとしても親に依存しなければならないということだと私は思っています。
貴瑚は母から虐待を受けて嫌われていることを実感していましたが、それでも母のことを愛していました。その理由は子どもであるがゆえに貴瑚が自分一人の力では生きることができないことを理解しており、母に依存していたからです。
愛は、幼少時の虐待が原因で人と話すことができませんでした。
そのため、自分が虐待を受けているということを周りの人間には発信することができず、逆にしゃべれない息子を持ったことで母親が苦労しているという風に噂されてしまいます…。
また、児童虐待を中途半端な正義感で止めようとすると子どもをより傷つけることになるということもこの物語で描かれてしまいました。
貴瑚の当時の担任が自己満足な正義感で貴瑚を救おうとしたことが原因で両親の貴瑚に対する虐待はエスカレートしていきました。
これを見て虐待は中途半端に救うのではなく、徹底的に救わないとだめであるということを感じました。
ただ、この問題は簡単には解決することができません。中途半端に救った人間が悪者として扱われてしまうようになると、児童虐待から救ってやるという人間は少なくなってしまうような気もします。
そのため、児童虐待を防止するためには国の総力をあげてこの根深い問題に立ち向かう手段を考える必要があるということを感じました。
田舎の人間のコミュニティ
この作品では田舎の人間のコミュニティの悪い面と良い面を描いていました。
悪い面は物語序盤から分かる通り、狭いコミュニティの中ですぐにあることないこと噂が広がる、人のプライベートな領域に土足でどしどし踏み入ってくるというものがありました。
貴瑚は、田舎の人間たちから元風俗嬢だとかいうありもしない噂が自分が知らない場所で広がっていたことを村中との会話で知り、田舎での生活を少し嫌に感じました。
また、貴瑚が働かない事情を知りもしない人間たちに若いんだから働けなどと言われたりもしていましたね。
良い面は、悪い面とは逆でお互いの事情を知っているからすぐに助け合いができるということです。
村中のおばあちゃんは、愛が母や祖父と上手くいっていないことをなんとなく察していたため、貴瑚の話を聞いてすぐに愛を助けるための行動にでました。
こうやって悪い面と良い面を見ると人とのつながりが苦でない人は田舎に住みやすいけど、自分の領域にやすやすと侵入されたくない人は都会に住む方が向いているのかなという感じがしますね。
ちなみに私は都会派ですね(笑)
まとめ
『52ヘルツのクジラたち』は人と人とのつながりの大切さを描いている作品でした。
もしかしたら自分の周りに助けを求めている人がいるかもしれません。
そういう人たちの声を聴こえないと一蹴するのではなく、聴く努力をしてみることで多くの人を救うことができるということを理解しました。
また、助けを求める人も勇気がいるかもしれませんが、人が聴くことができるように助けを求めることが大切です。
自分の声を多くの人は聴こえていないかもしれませんが、声を発信して一部の人に聞こえるようにすることで自分を苦痛から救うことができるでしょう。
また、本作は児童虐待や性的な問題などの昨今話題になっている社会的な問題についても多く触れていました。
そういった問題について少し考えることのきっかけになると思いますので、ぜひ未読の方は本書を手にとってみてください。