としおの読書生活

田舎に住む社会人の読書記録を綴ります。 主に小説や新書の内容紹介と感想を書きます。 読書の他にもワイン、紅茶、パソコン関係などの趣味を詰め込んだブログにしたいです。

タグ:森見登美彦

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森見登美彦さんの『熱帯』を読みました。

帯に売り文句として「あなたが思うより不可解です。」と書かれていたが、その売り文句通り本当に不可解な物語でした。

物語中で奇妙な小説として登場した熱帯に、本書を読み進めていくにつれて自分もどんどんとらわれていきました。

この記事では私なりの熱帯の考察を書いていきます。



『熱帯』のあらすじ


森見登美彦が学生時代に読んでいた「熱帯」という本がある。

その本は、「汝にかかわりなきことを語るなかれ しからずんば汝は好まざることを聞くならん」という謎めいた文章で始まる奇妙な小説だ。

内容もとにかくなんだかよく分からない小説なのだが、森見はその本に心を惹かれ大事に毎日少しずつ読んでいた。

森見がその本を読み始めてから三日目に熱帯は森見の手元から忽然と消えてしまう。

その本を買い直せばいいと思っていた森見であったがいくら書店を探せどその本は森見の前に二度と現れることはなかった。

そのため森見は熱帯の結末を知らない…。

それから数十年後、有名作家となった森見は再び熱帯を東京へとでた。

東京にはすでに熱帯に夢中になった一団がいたが、彼らもみな熱帯を読んでいる途中にその本が消失してしまい熱帯の結末を知らない。

熱帯を読んだものはみんな物語にでてくる摩訶不思議な光景に心をとらわれている。

熱帯とはどのような小説なのか、そして森見たちは熱帯の結末を知ることができるのか。

一つの物語を追いかけた摩訶不思議な物語がここにはじまる。


感想(ネタバレあり)


熱帯を読了した直後の私の感想はけっきょくどういうことだというものだった。

佐山尚一が書いた熱帯を追う物語を読んでいたと思っていたのだが気づいたら、佐山尚一が不可思議な世界で書いた熱帯という物語に出会って物語はしめられていた。

読んでいる途中は場面が最初の森見さんが熱帯を探しているシーンに戻ってくるとばかり思っていたため正直衝撃的な終わり方すぎて言葉を失ってしまった。

白石さんに手紙を残した池内氏は、京都で消息不明となった千夜さんは、熱帯という物語を残して消えていった佐山尚一は…自分の頭のなかを整理することができない。

熱帯という不可思議な物語の真実を見つけ出す作品を読んでいたと思ったら、いつの間にか物語の中で物語が語られていく、千夜一夜物語のような作品となっていき、いつしか自分が熱帯という世界に囚われていたのだ。

熱帯の不気味さに正直冷汗が止まらない…。

とりあえず落ち着いてもう一度熱帯を読み直して自分なりに熱帯を考察してみることにした。





自分なりの考察


よく分からない考察ではあるが、私たちは熱帯を探す物語ではなく、熱帯を途中まで読んだ森見さんが書いた熱帯という物語を読まされていたのだ。

自分で文章を書いていてもよく分からないがここで熱帯という物語について整理してみたい。

熱帯という物語が複数個あるとしよう。

一つは森見さんや白石さん、池内さんが追っていた熱帯。これを熱帯1としよう。

この熱帯1は佐山尚一が5章の最後で一人書き続けていた手記だと思ってよいだろう。

彼らの世界で佐山尚一なる人物が存在を消しているのは、おそらくその世界に存在していた佐山尚一という人物が別の世界線に飛ばされてしまったからではないのだろうか。

後記の佐山の言葉から佐山が別の世界線で生きていることがなんとなくだが想像できる。


二つ目は、千夜さんが持っていた熱帯だ。

作中で千夜さんが消えたときに手紙に残した「私の『熱帯』だけが本物なの」という言葉は印象的だ。

これは恐らく熱帯という物語に登場した人物はそれぞれの熱帯の世界で感じた熱帯という作品を持っているという意味だと私は解釈した。

千夜さんは佐山が体験した熱帯という物語の中で一人の登場人物として現れた。

おそらく千夜さんの持っていた熱帯は物語の途中で、千夜さんの視点に切り替わって進められていっているのではないのだろうか。

千夜さんが持つ熱帯を熱帯2としよう。


そして最後は私たちが読む、森見登美彦が書いた熱帯だ。これを熱帯3としよう。

我々は物語の途中で熱帯1を読んでいたと思っていたのだが実際読んでいたのは森見さんが書いた熱帯3だったのだ。

おそらく森見さんは物語を読んだ人がその物語を書いても同じ物語を作ることはできないということを伝えたかったのではないのだろうか。

物語が終わったように感じなかった熱帯を参考に私が熱帯を書いたら部分的には元の熱帯という作品に似たような小説になるかもしれないが、それはあくまで私の解釈によって自由に書かれた熱帯になるに違いない。

人によって物語の解釈は千差万別だということを森見さんは読者に伝えたかったのではないのだろうか。

ここまで読んでいるとよく分からない考察だが、自分が理解しているつもりになっていたらそれでいいのだろう。



まとめ


この物語をどう感じるかは人によってかなりの差があるだろうが私的には非常に満足できる作品であった。

千夜一夜物語を知っていたらこの作品をより楽しめたのかもしれないので、いつかは千夜一夜物語を読んで再び熱帯を読んでみたい。







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森見登美彦さんの第2回京都本大賞受賞作の『聖なる怠け者の冒険』を読みました。

『聖なる怠け者の冒険』は『四畳半神話大系』や『夜は短し歩けよ乙女』などと同じように京都の町が舞台となった作品で他作品で出てきた要素などもおり交ぜられているため森見登美彦さんのファンなら誰もが楽しめる作品となっています。

感想に少しだけだがネタバレもあるので未読のかたはご注意ください。


『聖なる怠け者の冒険』のあらすじ


社会人2年目の小和田君は、仕事が終われば独身寮で缶ビールを飲みながら夜更かしをすることが唯一のお趣味。そんな彼の前に狸のお面をかぶった「ぽんぽこ仮面」なる人物が現れて……。宵山で賑やかな京都を舞台に果てしなく長い冒険が始まる。





感想(ネタバレあり)


読み終わった後最初に思ったことは物語の内容がわずか1日分しかないのに1日分だとは思えないほど充実しているということでした。

しかも主人公の小和田君は倉のなかで妄想を膨らませながら怠け者のように半日近く眠っていたので実質主人公が何もしていない(怠け者としての姿勢を貫いている)時間が物語の半分以上だという…。しかし小和田君のどんな状況でも自分の怠け者としての意思を貫き通すところはどこかかっこいいようにも感じてしまいます。小和田君のような人物を魅力的に見せることができるのは森見登美彦さんだからできる技なんだろうな。


個性豊かな登場人物


内容が充実していたと感じる理由は様々な個性豊かな人物の視点から物語が構成されているからなのかもしれません。本作は主人公の小和田君以外の人物も魅力的なのもいい点です。

後藤所長は人生の達成感を得るために人々の称賛がほしくてぽんぽこ仮面という慈善事業を始めました。しかし、作中では自分が助けてあげた人から追われるという恩をあだで返すような行為をされてしまいます。また自分の休日をけずり怠け者としての本能をおさえてまでぽんぽこ仮面としての活動を行っていることに疑問を抱く場面もあります。最終的に町中の人がぽんぽこ仮面になったおかげでぽんぽこ仮面を引退できたのは後藤所長にとって良かったのだろう。

休日探偵の玉川さんは、浦本探偵とは違い探偵としての意欲は高いが能力がありません。しかも極度の歩行音痴で物語中の大部分は京都の町で迷子になってしまいふらふらとしていました。ただ浦本探偵の「迷うべきときに迷うことも才能」という言葉を聞いていると玉川さんは迷いながらも自分の職務を全うしているように感じます。

恩田先輩と桃木さんのカップルは二人とも休日を計画的な行動を行うことで充実させようという意識がすごかったです。小和田君のように怠け者のような休日がいるなか恩田先輩たちのように休日だからこそ色々なことをして充実させようという人も世の中には多いのだろう。私は本作の登場人物のなかでこの二人が一番好きです。

この他にも多くの人物が登場するがどの人物も本当に魅力的でした。




他作品と関連する要素


他作品で出てきた要素が出てくるのも本作の良いところで、森見登美彦さんのファンならば色々と探してしまうのではないのでしょうか。

偽電気ブラン、猫ラーメン、下鴨幽水荘など他にも様々なものが現れました。

多くの他作品の要素が登場した中で私が特に良かったなと思ったのは津田さんの出演です。これは『四畳半神話大系』のファンにはたまらないのではないのでしょうか。

あの悪友だった津田さんが10年後には蕎麦打ちの職人になっているとは想像もできませんでした。津田さんも歳をとれば丸くなるんだなと思ってしまいました。ひたすら津田の弟子が蕎麦を打ち、それを招待客が食べ続ける無間蕎麦は実際にあるのならば行ってみたい気がしますね。



最後に


森見登美彦ワールド全開の作品を読むと京都の街並みが素敵に描写されているからなのか京都に遊びに行きたくなってしまいます。私も小冒険として来年は祇園祭宵山に行ってみようかな。

あとがきで『聖なる怠け者の冒険』は新聞連載のときや文庫化前では内容が少し違うと書いていたのでそちらも読んでみたいな。

本書を読んだ人のなかで森見登美彦さんの他作品をまだ読んでいない方は他の作品もおもしろいのでぜひ読んでみてください。




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今回は、森見登美彦さんの『ペンギン・ハイウェイ』を読んだのでそちらを紹介していきます。

『ペンギン・ハイウェイ』は2010年に日本SF大賞を受賞しており、2018年8月17日から映画が上映されるほどの人気作です。

作者の森見登美彦さんは、自身の京都大学での生活をもとに書かれた『四畳半神話大系』や『夜は短し歩けよ乙女』などの作品を書かれている方です。

私は、大学生以外が主人公の森見登美彦さんの作品を読むのは本作が初めてであったためとても新鮮な気持ちで読ませていただきました。




『ペンギン・ハイウェイ』のあらすじ


小学四年生のアオヤマ君は毎日きちんとノートを書き、たくさん本を読むため大人にも負けないほどいろいろなことを知っている。

ある日、アオヤマ君の住む町に突然ペンギンが現れた。

ペンギンが突如現れた事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることが分かったアオヤマ君は、お姉さんとペンギンの謎を研究することにした。

研究を進めていくうちに現代科学では証明ができないような様々な事象が起こる。

アオヤマ君はペンギンの謎を解き明かすことができるのか。



おもしろいポイント


私は、本作の魅力は二つあると思う。

一つ目は、物語の主人公となるアオヤマ君の変化であると思う。

アオヤマ君は、勉強熱心であり小学四年生だとは思えないほど賢い人物である。ただその賢さがゆえに物語の序盤などでは、どんな物事も理論的に解決しようとする。それゆえに恋愛などの理論で説明できないことにはうとい人物となっている。

そのためアオヤマ君が歯科医院のお姉さんを魅力的に感じるのはおっぱいがあるからだなどの謎理論を展開しおっぱいの魅力について考える場面などがあり非常におもしろい(笑)

そんなアオヤマ君の考え方が物語が進むにつれて変化していくのが魅力的だ。


二つ目は、森見登美彦さんの不思議な世界観だ。

森見登美彦さんは他の作品も独特な世界観を持っている作品が多いが本作も不思議な雰囲気を持っている作品となっている。

突如現れるペンギンや不思議な生き物、<海>と読んでいる謎のものなど…

どこにでもある普通の世界観にこういった不思議な要素を自然と取り入れることができているのも本作の魅力だ。本作を読んでいると自分も同じ世界にいるような不思議な感覚を味わうことができる。

森見登美彦ワールドを体験してみたい人にはぜひ読んでほしい。



感想(ネタバレあり)


読了後の感想として最初に思ったのは、アオヤマ君は強い子であると感じた。

物語の最後にアオヤマ君の大好きであったお姉さんが <海> が消えるとともにいなくなってしまうが、それえでも泣かないアオヤマ君はとても強い子であると思った。

私は、アオヤマ君がお姉さんのことを好きであると分かったのにその直後お姉さんがいなくなったため涙を流してしまった。アオヤマ君が泣かないのに私が泣くのもおかしな話である。

アオヤマ君はこの不思議な出来事の研究を突き詰めることでいつかお姉さんと再会することができ一緒に海に行くことができると考えているから泣かなかったのかな…。もしそうであるならアオヤマ君にはお姉さんにぜひ再開してほしいと思う。


本作を読み終わったあと私なりにお姉さんとは何者であったのか少し考えてみたが正体が分からない。本当不思議なお姉さんだ。

物語の中でお姉さんはペンギンを出すことができ、ペンギンは<海>をつぶすことができるため時空を調整することができる人物であると書かれている。

お姉さんの正体を解き明かすにはそもそも<海>とはなんなのかということを考えなければならない気がする。

海が出現した時期とお姉さんが現れた時期は同じなのか?それとも海が現れたからお姉さんが不思議な人物に変化したのか…考えているときりがなく分からない。

この記事を書き終わったら考察が書いているブログを捜して自分なりに改めて考えてみたい。


最後になるが、『ペンギン・ハイウェイ』は魅力的な作品であった。本作を読んでいると私もアオヤマ君、ウチダ君、ハマモトさんと一緒に<海>の研究をしている気分になれた。読んでよかった。







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森見登美彦さんの『恋文の技術』を読みました。

『恋文の技術』というタイトルから恋に対しての深刻な話なのかなとか思っていたのですが、読んでみると守田君の手紙の内容が面白くて最初から最後まで笑い続けていました。

以下、あらすじと感想になります。


『恋文の技術』のあらすじ


主人公は4月の初めに京都の大学院から、遠く離れた石川県の能登半島の遠い実験所に飛ばされた守田一郎。

初めての一人暮らしによる寂しさと好きな相手に恋文を綴るために文通修行と称して京都に住むかつての仲間や家族、家庭教師をしていたときの教え子などに手紙を書きまくる。

手紙を通して守田は友人の恋の相談にのったり、小説家の森見登美彦の文句を聞いたり、研究室の先輩の嫌味を聞いたり、教え子の悩みなどを聞いたりしていた。

しかし、文通をいくつかいても守田は本当に好きな人への手紙はうまく書くことができない。

そんな彼だったが久しぶりに京都に帰った7月のある日、友人とおっぱいを克服するために桃色ビデオを見ながら「おっぱい万歳」と叫んでいるところを意中の相手である伊吹さんに目撃されてしまう。

恋文も書けず、意中の相手に恥ずかしい姿を見られてしまった守田は伊吹さんに自分の気持ちを伝えることができるのだろうか。

森見登美彦が送る、恋する男性を主人公とした書簡体小説。



感想(ネタバレあり)


書簡体小説と言えば二人三人の手紙のやりとりを楽しむ作品が多いのですがこの作品には守田君の手紙しかでてきません。

第一話の『外堀を埋める友へ』の二通目の手紙を読んだときに、これから先守田君の手紙しか出てこないのでは…ということに気づいたときは一人だけの手紙だと物語が冗長になって面白くなくなるのではと不安を覚えました。

しかし、そんな心配をする必要はありませんでした。

とにかく守田君の文才(森見登美彦先生の文才)が素晴らしすぎて終始飽きずに読み続けることができました。

守田君が文通を送る相手によって文体が微妙に違うのも冗長にならなかった理由なんでしょうね。

妹には自分の偉さを誇示するような手紙を書き、まみやくんには小学生相手に難しい感じをいれないなど守田君の優しさや見栄っ張りっぷりが分かる手紙ばかりで読んでいてい終始にやにやしていました。

また、一人の手紙だけで全ての登場人物を想像できるように書けるなんて森見先生の技術には
恐れ入りますね。

全ての相手との手紙が面白かったのですが、友人ということもあり一番遠慮なく手紙を書いているんだなということが分かる小松崎君への手紙が個人的には好きです。

読み始めの第一話と守田君が「おっぱい万歳」と叫ぶ第五話の手紙は読んでいて笑いが本当にとまりませんでした。


著者が物語に登場


『恋文の技術』の作中には著者である森見先生が登場人物として登場しました。

近年の小説で著者自身が登場人物の一人として登場するのはかなり珍しい気がします。しかも、主人公ではないキャラで登場するという。

これは夏目漱石の書簡集を意識して自分を登場させてみようと思ったんですかね?

作中の森見先生は常に締切に追われながらもファンレターを大切そうに読んだり、守田君への手紙は欠かさない人物でしたが実際の森見先生もこういう人なのかどうかというのがすごく気になりました。

ちょうどこの時期に発売した『夜は短し歩けよ乙女』を書いている描写があったりなど、森見作品好きに対するファンサービスがあったのも良かったです。

『夜は短し歩けよ乙女』のネタを守田君からの手紙からもらっているような描写がありますが、こうした何気ない日常を作品のアイデアとして取り組んでいることを考えると先生のすごさが分かりますね。


相手を確実に落とせる恋文の技術とは


守田君は伊吹さんに恋文を書くために伊吹さんを落とすための恋文の技術を取得しようとしますが、なかな取得できません。

恋文の技術を教えてもらおうと筆一つであまたの女性を魅了している森見登先生にも答えを聞こうとしますがそんな彼も守田の求める恋文の技術は持っていませんでした。

しかし物語の終盤で守田がついに伊吹さんへの失敗書簡から彼なりの恋文の技術を見つけます。

そんな守田君の恋文が第十二話で披露されますが、彼の恋文に読んでも読んでも伊吹さんに好きという気持ちを伝える言葉がでてきません。

しかし、最後の追伸でこのように書かれていました。

ついでに、守田一郎流「恋文の技術」を伝授します。コツは恋文を書こうとしないことです。僕の場合、わざわざ腕まくりしなくても、どうせ恋心は忍べません。
ゆめゆめうたがうことなかれ。
『恋文の技術』 p.399より

わざわざ恋文を無理して書かなくても恋心は隠せないよという守田君のメッセージむちゃくちゃおしゃれじゃないですか!?

伊吹さんのような守田君が好きになるほどいい人なら手紙も最後まで読むだろうから、これは守田君なりの恋文の技術の答えですが素敵だなと思いました。

ただ、この技術は鈍感な人からはもしかしたら気づかれないかもという欠点があるのでみんなが使えるわけではありませんね(笑)

絶対に相手を落とすことができる恋文の技術なんて存在しないから、自分なりに試行錯誤して自分に合った恋文の技術を見つけろというのが森見登先生からの読者に対するメッセージなような気がしますね。



まとめ


現代はメールやLINEで手軽にメッセージのやりとりができますが、こうして時間をかけて相手とやりとりする手紙も素敵だなと思いました。

守田君が手紙のなかに写真などを付けていたこともありますが、ああいうのもおしゃれですよね。

ああ、天狗ハム食べたいな。





キャプチャ

森見登美彦さんの『新釈 走れメロス 他四篇』を読みました。

近代文学の作品を森見登美彦さんなりに現代風に解釈した作品ということでどんな風に物語が構成されているのか読むまで想像できませんでした。

作品を読んでみると近代文学五篇を見事に森見登美彦ワールドに落とし込ませており、それぞれの作品を独立させるのではなく連作として扱っていて面白かったです。

以下、あらすじと感想になります。



森見登美彦『新釈 走れメロス 他四篇』のあらすじ



山月記


1942年に中島敦が発表した作品。俗世を捨てて「詩」の世界に執着した男の末路を描いている。


京都吉田界隈にて、一部関係者のみに勇名を馳せる孤高の学生、斎藤秀太朗がいた。

彼は、留年と休学を使い分け何年も大学にいながら、小説の執筆活動を行っていた。

かつての友人が大学を卒業していく中、自分の信念を貫き小説を書き続けてきたがその活動は実ることがなかった。

そしてある日の夜、斎藤は山へと消えていく。

斎藤が消えて一年後、ある事件をきっかけに斎藤と後輩の夏目孝弘が山で再開することになる。


藪の中

1922年に芥川龍之介が発表した作品。ある殺人と強盗事件をめぐる証言の矛盾から、人間心理の複雑性を描いている。


映画サークルが作成した、「屋上」という作品について様々な非難が監督の鵜山に寄せられた。

映画の内容は、元恋人の男女が屋上でよりを戻すというものだ。

この映画の問題は主演の男女が元恋人で、監督が女優の現在の彼氏であるということだ。

この作品では「屋上」に対する考えを映画サークルの後輩、斎藤秀太朗、監督を崇拝する後輩、主演女優の友人、主演男優、主演女優そして監督である鵜山の視点から描いている。


走れメロス


1940年に太宰治が発表した作品。親友であるセリヌンティウスを救うため、メロスが疾走する様子を描いた熱き友情の物語。


「芽野史郎は激怒した。」

気弁論部に所属する阿呆学生である芽野史郎は、図書館警察の長官によって部室を取り上げられたため、直接長官に直訴しに行った。

かつて恋人と親友に裏切られた過去がある長官は、部室を返す条件として学園祭のフィナーレとしてグラウンドに設営してあるステージで桃色のブリーフ一丁で踊れという無茶なことを提示してきた。

それに同意した芽野だったが、姉の結婚式を理由に一日の猶予をもらい、芽野の人質として親友の芹名を長官に預けた。

しかし、人質にされた芹名は芽野に姉などいなく戻る気がないことを知っていた。

芽野と芹名は長官に真の友情を証明することができるのだろうか。


桜の森の満開の下


1947年に坂口安吾により発表された作品。賊をも狂惑させる、女の恐ろしき「美」を描いている。


大学生の男は小説を書くことを生きがいとしていた。

男には小説を書きあげるたびに尊敬する斎藤秀太朗の元に小説を持っていき、添削してもらうという習慣があったが桜の木の下のベンチに座っている女と出会ったことで男の生活は一変する。

女は斎藤秀太朗の添削が男の作品を潰しているということで、男に添削に持っていくのを辞めさせた。

それからしばらくして男は女のことを小説に書くようになり一躍有名になる。

そして京都から東京に引っ越し、それからも男は成功を続け華やかな生活を送るのだが、男はどれだけ有名になろうと自分の作品に満たされない思いを抱えていた。


百物語


1911年に森鷗外により発表された作品。古来より親しまれる怪談会「百物語」での様子を描いている。


大学四年生の夏に当時配属された研究室から逃げ出し、イギリスに一ヶ月の語学留学に行った後、日本に帰ってきた際に友人のFからの誘いで百物語に参加することになった。

百物語に参加してみたが、人付き合いが苦手な私は百物語の会場での人の多さが嫌になり、夜が更けて怪談が始まる前に帰宅してしまった。

帰り際会場の前で、主催者であり会場の持ち主である鹿島に出会ったが特に引き留められることもなく帰路についた。

翌日、友人Fから百物語の様子を聞くとある疑問を抱くことになる。

主催者の鹿島がFの横に座っているのを目撃したのは、私だけでFは見ていないという。

それどころか私以外に会場に来ていた鹿島を見たものはいないらしい。

はたして鹿島は何者だったのだろうか…。





感想


本作に収録している作品はどれも京都を舞台に描かれています。

『夜は短し恋せよ乙女』や『四畳半神話大系』などと同じ世界感で描かれているためこれらの作品を知っている人は原作を知らなくても楽しめること間違いないでしょう。お馴染みの気弁論部なども物語に登場していました。

近代文学は現代と少し言葉の使い方や時代背景が違うこともありとっつきにくいというイメージがあるのですが、『新釈 走れメロス 他四篇』はそんな人でも読みやすいように描かれています。

本作だけ読むのもいいですが個人的には原作を知っている人ほうが本作と比較することができ、より楽しめると読了後に感じました。

私自身、原作を読んだことがあるのは「走れメロス」、「山月記」、「藪の中」の三作だけだったので他の二作もこれから読もうと思います。


原作を忠実に再現しているわけではない


本作のタイトルについているとおり新釈ということで、原作を完全に森見登美彦ワールドにまるまる置き換えただけではなく少しアレンジを加えています。

例えば走れメロスでは、原作とは違いメロスの代わりとして描かれている芽野は友人を助けにいくつもりがありません。

それでも原作と同じように、助けに行かないことで芽野と芹名の友情を描いています。

このように本作に収録されている作品は内容を完全に再現しているわけではないが、テーマは原作と同じものを描いており、現代でも読みやすいようにアレンジされています。

なのでこうして新釈した物語を読むと、歴史に名を連ねている文学作品は時代背景は違えどテーマはどの時代にも当てはまっていることが分かります。

その影響もあり、本作を読み終わった後には様々な近代文学作品を読みなおして自分なりに現代風に解釈したいなと感じました。


連作にしている良さ


原作はそれぞれが独立しています。

著者も違うし発表された年代も違うので当たり前なのですが、本作ではあえて独立している作品を連作として扱っています。

連作として扱っていることもあり、本書はかなり読みやすいなという風に感じました。

それぞれの作品が独立していることの良さでもあり、欠点でもあるのですが場所や時代背景が違うことが原因ですんなりと物語にのめり込めないことがあります。

本書はそんな欠点を連作とすることで上手に消しているなと感じました。

また、山月記に出てきた斎藤秀太朗は他の全ての物語に出演していることもあり一通り読み終わった後に再び山月記を読むことで斎藤秀太朗の考えをより理解できるに違いありません。

こういった風に感じることができるのも連作ならではの良さですね。



まとめ


『新釈 走れメロス 他四篇』はタイトル通り有名文学作品を現代風に森見登美彦さんが解釈しなおした作品でした。

近代文学に興味はあるが、文体などに抵抗がある人にとっての入門書としてお勧めです。

また、原作を読んだことがある人でも楽しめるような作りになっていますのでぜひ読んでみてください。






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