としおの読書生活

田舎に住む社会人の読書記録を綴ります。 主に小説や新書の内容紹介と感想を書きます。 読書の他にもワイン、紅茶、パソコン関係などの趣味を詰め込んだブログにしたいです。

タグ:町田そのこ

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『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞した町田そのこさんの受賞後第一作目の『星を掬う』を読みました。

親と子のつながりを描いた作品で、個人的には『52ヘルツのクジラたち』より『星を掬う』の方が好みの作品でした。

以下、あらすじと感想になります。



『星を掬う』のあらすじ


千鶴は小学校1年生の夏休みに母に捨てられた。

母との最期の思い出は母と二人で夏休みに色々なところに旅行をしたところだ…。

30歳手前になった千鶴は、元夫のDVが原因で金銭的にも身体的にも苦しい状況にある。

千鶴は賞金ほしさに、母との最期の思い出をとあるラジオ番組に投稿してみた。

するとそのラジオを聞いた、恵真という母の娘を名乗る人物から会いたいという連絡がきた。

恵真に会ってみると彼女は母とは血がつながっているわけではないが、母に育ての親として感謝をしているようだ。

恵真に一緒に住もうと言われた千鶴は、元夫のDVから逃げたいということもあり、恵真と母が住む「さざめきハイツ」に向かいそこで千鶴を捨てた母と再会することになる。

自分の記憶とは違う母と出会い戸惑う千鶴であったが、彼女たちと暮らしを通して、千鶴は母が自分を捨てた理由の真実を知ることとなる。

普通の母親と娘の関係を気づくことができなかった、女性たちの物語。



感想(ネタバレあり)


人生は誰のものか


『星を掬う』を読んでいると人生は誰のためのものなのかということを常に考えさせられました。

主人公の千鶴は小学校のころに母から捨てられたことが原因で、自分の人生は上手くいっていないという風に考えていました。

このような考え方は自分の選択に責任をとるのが難しい、小学生や中学生なら許されるかもしれません。

しかし、大人になってまでこのような考えを持っていた千鶴は、人生の悪かった原因を母である聖子に責任転嫁していただけでしかありませんでした。

千鶴はさざめきハイツに来てからもそのことになかなか気づけませんでしたが、美保を見て彩子に対して自分と同じような態度をとっていたことから、自分の選択の失敗の原因を聖子に押し付けていただけだと気づきます。


また、聖子も聖子の母(千鶴の祖母)がなくなるまで人生を母に支配されながら生きていました。

しかし、聖子は母が亡くなったことをきっかけに、今までの全てを否定してでも自分らしい人生を送ることを決意しました。


彼女たちを見ていて「人生は誰のもの」という質問を問われたら、「人生は自分のものだ」と堂々と答えることができる人間になりたいと感じさせられました。





行動することで、つかめる幸せ


千鶴を見ていると幸せをつかむために行動することが大切だということを伝えられました。

千鶴は賞金目的とはいえラジオに自分の思い出を投稿するということがきっかけで自分の人生を大きく変化させることになりました。

もし、千鶴がラジオに投稿しなかったり、恵真と会わなかったり、いつまでたっても聖子と向き合おうとしなければ千鶴は幸せを掴めなかったに違いありません。

彼女は行動したからこそ、母が自分を捨てた真の理由を知ることができ、人として成長することができました。


親や先生の言う通りのことをする人間は世間から見たら良い子に見えるのかもしれません。

しかし、そのようなしつけを行っていると自分の行動に責任をとることができない人間が育ってしまいます。

子どもの幸せを願うのであれば、自分で行動することができて自分で幸せをつかめるような教育をする必要があるのだなと感じました。



まとめ


『星を掬う』は自分の人生に責任を持つことと行動することの大切さを教えてくれる作品でした。

また、物語をとおして人の暖かい心というものが常に感じることができました。

本屋大賞受賞作家の作品として申し分ない作品ですので未読の方はぜひ読んでみてください。







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2021年本屋大賞を受賞した町田そのこさんの『52ヘルツのクジラたち』を読みました。

タイトルを見ただけではどのような物語か全然想像できなかったのですが、読了後はこの本にタイトルをつけるならこれしかないと思うほど、タイトルと内容がマッチしている作品でした。

以下、あらすじ感想になります。



『52ヘルツのクジラたち』のあらすじ


自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚。

彼女が義父の介護に疲れて死に場所を求めてさまよっていた時に、彼女の助けを求める声を聴くことができた"アン"と出会う。

アンと出会ってからわずか5日でずっと苦しめられてきた家族の呪縛から解放され、第二の人生を歩み始めた貴瑚。

それからしばらくは、アンや友人の三春と幸せな生活を送っていたがある事件をきっかけに彼女はこれまでの生活を捨てることとなった…。

第三の人生として彼女は亡くなった祖母が昔暮らしていた、海の見える大分の田舎に移り住んだ。

そこで、彼女は母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年にであう。

少年を見て昔の自分の姿と被った、貴瑚は少年を救うことを決心した。

孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らの出会い、新たな魂の物語が生まれる——。



感想(ネタバレあり)



『52ヘルツのクジラたち』というタイトルの意味


タイトルの『52ヘルツのクジラたち』という文字を見たとき単なる比喩的表現化と思いあまり意味を考えていませんでした。

しかし、物語を読んでいると52ヘルツのクジラとは他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、クジラのことをさしていました。

たくさんの仲間が近くにいたとしても自分の声が届かないためこの物語で52ヘルツのクジラとは孤独を表す象徴として表現されています。

この物語で52ヘルツのクジラのように自分の声を伝えることができない人物は、貴瑚、愛(ムシ、52と呼ばれていた少年)、アンさんの3人がいました。

彼らはそれぞれ家族関係や自分のことで悩みを感じていましたが、自分の考えをそのまま人に伝えることはできません。

彼らの声を聴くことができたのは自分と似たような人物だけでした。

自分の性の悩みを家族にも相談することができなかったアンは、貴瑚が一人歩いているのを見て彼女が鳴き声をあげ続けていることに気が付き、彼女を救いました。

アンに救われていたことに感謝をしていた貴瑚は、自分がアンを救うことができなかったという後悔を埋めるために愛を救います。

どんな人間でも長い人生の間で彼女らのように、ほとんどの人が聴くことができない鳴き声で助けを求めたことがあるのではないのでしょうか。

この『52ヘルツのクジラたち』というタイトルは、私たち読者に一人で悩んでいる声もきっと誰かに届くから、悩みを相談できる人に出会ってほしい。
また、他の人の悩みをどんな人でも聴くことができるんだよという町田そのこさんのメッセージと感じました。

ちなみに以下の動画でクジラの鳴き声って初めて聞いたのですが、なかなか幻想的ですね。

52ヘルツではないけどクジラの声が落ちつくという理由がなんとなくわかりますね。






児童虐待について


貴瑚はアンに出会って家族から解放されるまで、母と義父から虐待を受けていました。

愛も母から虐待を受けて過ごしました。

この物語を読んで児童虐待の恐ろしさというものを再認識しました。

児童虐待の恐ろしいことは、子どもは親なしで生きていくことができないためどんなに酷いことをされたとしても親に依存しなければならないということだと私は思っています。

貴瑚は母から虐待を受けて嫌われていることを実感していましたが、それでも母のことを愛していました。その理由は子どもであるがゆえに貴瑚が自分一人の力では生きることができないことを理解しており、母に依存していたからです。

愛は、幼少時の虐待が原因で人と話すことができませんでした。

そのため、自分が虐待を受けているということを周りの人間には発信することができず、逆にしゃべれない息子を持ったことで母親が苦労しているという風に噂されてしまいます…。


また、児童虐待を中途半端な正義感で止めようとすると子どもをより傷つけることになるということもこの物語で描かれてしまいました。

貴瑚の当時の担任が自己満足な正義感で貴瑚を救おうとしたことが原因で両親の貴瑚に対する虐待はエスカレートしていきました。

これを見て虐待は中途半端に救うのではなく、徹底的に救わないとだめであるということを感じました。

ただ、この問題は簡単には解決することができません。中途半端に救った人間が悪者として扱われてしまうようになると、児童虐待から救ってやるという人間は少なくなってしまうような気もします。

そのため、児童虐待を防止するためには国の総力をあげてこの根深い問題に立ち向かう手段を考える必要があるということを感じました。





田舎の人間のコミュニティ


この作品では田舎の人間のコミュニティの悪い面と良い面を描いていました。

悪い面は物語序盤から分かる通り、狭いコミュニティの中ですぐにあることないこと噂が広がる、人のプライベートな領域に土足でどしどし踏み入ってくるというものがありました。

貴瑚は、田舎の人間たちから元風俗嬢だとかいうありもしない噂が自分が知らない場所で広がっていたことを村中との会話で知り、田舎での生活を少し嫌に感じました。

また、貴瑚が働かない事情を知りもしない人間たちに若いんだから働けなどと言われたりもしていましたね。


良い面は、悪い面とは逆でお互いの事情を知っているからすぐに助け合いができるということです。

村中のおばあちゃんは、愛が母や祖父と上手くいっていないことをなんとなく察していたため、貴瑚の話を聞いてすぐに愛を助けるための行動にでました。

こうやって悪い面と良い面を見ると人とのつながりが苦でない人は田舎に住みやすいけど、自分の領域にやすやすと侵入されたくない人は都会に住む方が向いているのかなという感じがしますね。

ちなみに私は都会派ですね(笑)



まとめ


『52ヘルツのクジラたち』は人と人とのつながりの大切さを描いている作品でした。

もしかしたら自分の周りに助けを求めている人がいるかもしれません。

そういう人たちの声を聴こえないと一蹴するのではなく、聴く努力をしてみることで多くの人を救うことができるということを理解しました。

また、助けを求める人も勇気がいるかもしれませんが、人が聴くことができるように助けを求めることが大切です。

自分の声を多くの人は聴こえていないかもしれませんが、声を発信して一部の人に聞こえるようにすることで自分を苦痛から救うことができるでしょう。


また、本作は児童虐待や性的な問題などの昨今話題になっている社会的な問題についても多く触れていました。

そういった問題について少し考えることのきっかけになると思いますので、ぜひ未読の方は本書を手にとってみてください。






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