としおの読書生活

田舎に住む社会人の読書記録を綴ります。 主に小説や新書の内容紹介と感想を書きます。 読書の他にもワイン、紅茶、パソコン関係などの趣味を詰め込んだブログにしたいです。

タグ:短編

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村田沙耶香さんの『丸の内魔法少女ミラクリーナ』を読みました。

村田沙耶香さんと言えばコンビニ人間などどこか不思議な物語を書く人です。

タイトルだけでは本作がどんな作品か予想できませんでしたが、本作は4つの物語を収録した短編集になっています。

笑えるような話から、深く考えさせられる作品までありとても面白かったです。

以下、あらすじと感想になります。




あらすじ


36歳のOL・茅ヶ崎リナには小学生のときからの親友以外に隠していることがある。

それは、彼女が魔法のコンパクトで「魔法少女ミラクリーナ」に変身できるということだ…。(これは茅ヶ崎リナの妄想である)

彼女は魔法少女に変身することで、オフィスで降りかかってくる無理難題など社会生活におけるあらゆるストレスに対応することができる。

そんな彼女だが、親友の恋人であるモラハラ男と何故だかなりゆきで魔法少女ごっこをするはめになってしまった。

魔法少女になって喜ぶモラハラ男を見て、魔法少女であることにうんざりしたリナは魔法少女を引退することを決意する。

魔法少女を引退した後のリナの生活は、以前のようには上手くいかなかった。

しばらくしてリナが再び魔法少女に復帰するチャンスが現れる。

ポップな出だしだが一転、強烈な皮肉とパンチの効いた結末を迎える表題作。

その他、初恋の相手を期間限定で監禁する物語を描く『秘密の花園』、性別を告白することを禁じられたスクールライフを描く『無性教室』、怒りという感情がなくなった『変容』が収録されている短編集。



感想



丸の内魔法少女ミラクリーナ


タイトルの魔法少女という文字を見たとき、村田沙耶香さんの別の作品である『地球星人』のような悪い物語を想像をしてしまったが、本作は心温まるいい作品だった。

最初にリナが魔法少女ごっこを始めて27年という設定を見たときは思わず笑いが吹き出してしまった。

また、親友のレイコの彼氏である正志がノリノリで魔法少女を演じている場面も、リナとしては嫌な場面のは分かるが、読者としては笑いがとまらなかった。

本作は笑いも多い作品だが、社会の問題なども色々考えて作られた作品だ。

リナは魔法少女という設定で過ごすことで普通の社会人として生き続けていることだ。

彼女は魔法少女であり続けることで社会人として生きるストレスを吹き飛ばしているが、ストレスの多い現代社会をできる大人として生き延びていくにはリナぐらいの吹っ飛んだ考え方が必要かもしれないとも感じてしまった。

ただ、もし私がポムポムに話しかけているリナのような人をみたら目を反らして、恐らく今後関わらないでおこうと思ってしまうだろう(笑)

本作は、「大人になって魔法少女で居続ける人をどう思う?」という作者の問いかけがある作品だと私は感じた。

正志のような間違った方法でストレスを発散してしまうような魔法少女ならそんな人間はこの世には存在しなくてもよいと思う。

しかし、リナは正志と違い人を傷つけることはない。リナが魔法の力を使うのは親友を笑顔にするためだ。

子どものころの夢は馬鹿にしがちだが、大切な人を守ることができる魔法が使えるのなら私も魔法少女になりたいと思ってしまう作品だった。





秘密の花園


世界に生きているほとんどの人は、いい思い出か悪い思い出かは分からないが初恋を体験したことがあるに違いない。

どんな思い出だとしても初恋を忘れることは難しい。

『秘密の花園』は、初恋を忘れる方法を村田沙耶香さんなりに描いた作品だ。

本作で描かれている初恋の忘れ方は、初恋の相手がどれだけくだらない相手であるかを感じてみるということだ。

物語の主人公である内山は初恋の相手である早川を忘れるために、早川を一週間監禁するという行為を実践した。

初恋の早川が理想の相手であるかどうかを判断するために、内山は早川の真似をして煙草を吸ってみたり、キスをしてみた。

しかし様々なことをするうちに、内山にとって初恋の相手はあくまで小学生の早川で大学生の早川ではなかったと分かった。


この初恋の忘れ方は正直現実で行うのは無理だと思う。

ただ、この作品を通して初恋なんて実際はくだらないものだから早く忘れてしまえということを伝えられた気がする。

良い年齢で初恋を忘れられない人がいたらこの物語のような妄想をして初恋を忘れてみてはいかがでしょうか。


無性教室


性別を告白することが禁止の学園ライフを描いた作品でした。

確かに読み始めから登場人物の性別が推測しにくいようにところどころ表現に工夫がなされています。

タイトルでも予測できる通り表面的なテーマとしてはジェンダー問題を描いた作品である。

近年、LGBTの人に対する差別が問題に上がっています。

本作では、性別が分からないようにすることで、LGBTでいじめられる人を生み出さないようにしていました。

正直この解決策は、本当に問題の解決になっているとは私は思いませんでした。

ただ、ミズキとコウのように性別を気にせず恋をしやすくなるということも考えたら完全には否定できませんね…。



本作を読んでいて面白いなということは性別を告白しないような社会を作ったことで実際に性別というものが必要ないと感じた人間が出現していることです。

これはもう一つの本作のテーマでもあり、近年の性に関心のない人々のことを描きたかったのではないかと思います。

ここでは性別のない人のことを無性と呼ぶことにします。

無性の人は、男性にも女性に興奮を覚えません。同じように現代社会では性に関心のない人々も増えています。

無性というのは生物学的には正しくないとは思いますが、心がある人間の自由な生き方としてはありですよね。

様々な人たちを受け入れて、社会をより良くするにはどうしたらいいのかということを考えるきっかけになる作品でした。


変容


個人的に一番ゾッとするような話でした。

近頃の若者はという言葉を皆さん一度は耳にしたこと、あるいは口に出したことがあると思います。

本作は、そんな若者の変化を描いている作品でした。

本作の内容は、主人公真琴が物語の序盤では最近の若者が「怒り」という感情を知らないことに疑問をいだいていました。

物語が進むにつれて、若者だけではなく大人も「怒り」という感情を知らないことに怒ることを覚えている真琴は怒りを覚えます。

「怒り」という感情を教えるために仲間を引き連れて、よく分からないパーティに乗り込みますが、最終的には真琴も「怒り」を忘れ「まみまぬんでら」してしまいます。


本作を読んで自分が一番怖いと思ったのは人間の感情などもファッションと同じように流行りがあり、それは一部の人たちが決めているということでした。

この作品を読むと今自分が好きな本を読むということも社会的に操作されて好きになるようにコントロールされているかもしれないという風に感じてしまいました…。

ファッションや趣味などに流行りがありますが、周りに流されずに自分な好きなものを堂々と好きということができる人になりたいと感じさせられる作品でした。



まとめ


本作は様々な社会問題をテーマにした短編集が収録されている作品でした。

社会に対する問題を理解して、それをどのように乗り越えるか色々と考えるきっかけになりよかったです。

未読の方は面白いし勉強になるので、ぜひ読んでみてください。







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2003年に実写映画化され2020年にアニメ映画化された田辺聖子さんの「ジョゼと虎と魚たち」を読みました。

2度も映画化されれている作品なので、原作を手に取るまでは長編小説だと思っていたのですが、読んでみると30ページほどの短編小説であることに驚かされました。

ただ、読了後何十年も愛される作品であることに納得のいく作品でした。

以下感想になります。



『ジョゼと虎と魚たち』のあらすじ


足が悪いジョゼは車椅子がないと動けない。
ジョゼが祖母と出かけていたある日、祖母が少し目を離した隙に悪意のある何者かの手により、車椅子に乗っていたジョゼごと坂の上から押し出された。
そんな時に死ぬかと思ったジョゼを救ったのが恒夫であった。

市松人形のようなジョゼと、大学を出たばかりの恒夫の二人のどこかあやうくて、不思議な男女の関係を描いた大人の恋愛小説。



ジョゼが虎へ会いたがっていた意味


物語の中でジョゼが「虎を見たい」と言って恒夫と動物園に行くシーンがあります。

動物園で虎を見たジョゼは以下のようなことを言いました。

「一ばん怖いものを見たかったんや。好きな男の人が出来たときに。怖うてもすがれるから。‥・・・・そんな人が出来たら虎見たい、と思てた。もし出来へんかったら一生、ほんものの虎は見られへん、それでもしょうがない、思うてたんや」

これはジョゼにとって一人で生きていくことは実質死んでようなものだが、誰かと一緒に生きていることで生を実感できるということを暗に表しているような気がします。

虎を怖いという思いも生に感心がない人の場合感じないでしょうが、このときのジョゼは恒夫とともに生きたいと思っているため虎の迫力から死に感する恐怖を感じていると考えることができます。

だから、好きな男の人が出来たときにだけ、ジョゼは生を実感するために自分が一ばん怖いと思っている虎を見に行きたかったのでしょう。





ジョゼにとっての幸福


物語の最後の場面でジョゼは、恒夫と魚のようにホテルで寝ている場面で以下のようなことを思います。

アタイたちは死んでいる。「死んだモン」になってる

ジョゼにとって虎が生の対象になっているのとは反対に、死の対象は魚です。

魚のゆったりとして動かないような姿がジョゼにとっては死を連想させるものであり、これ以上生活が変化してほしくないという強い思いを感じることが出来る。

死と聞けば一般的に不幸な言葉のように感じるかもしれないが、ジョゼにとって恒夫と一緒にいる時間が幸福であるため、死んでいることが幸福であるという表現を使っているのだろう。

このこともあり、未来のことに対して不安を感じているジョゼの以下の思いは、二人の関係が危ういものであることをより際だたせている。

恒夫はいつジョゼから去るか分からないが、傍にいる限りは幸福でそれでいいとジョゼは思う。

この二人のあやうい関係が今後どうなるのかを読者の想像にまかせているのが読者にとってうけがよく、「ジョゼと虎と魚たち」は長年愛される作品になっているのでしょう。



最後に


『ジョゼと虎と魚たち』の映画しか見たことがない人はぜひ原作小説を読んでみてください。
冒頭で述べたとおり短編小説なのですぐに読むことができるし、映画と原作を比較することができてより『ジョゼと虎と魚たち』が好きになるにちがいません。

また本作に収録されている田辺聖子さんの他の短編もおもしろいので未読の方はぜひ読んでみてください。





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